著:フシダナナコ
20代の頃、芝居、映画制作、ダンス、結婚、離婚とやりたいことをやり尽くし、40歳を目前にして現実に気が付く。
現在は普通の会社員。
休日には趣味のもの作りに没頭し、愛犬と戯れるのが唯一の癒し。
得意技はちょいダメ男の一本釣り。
前回の記事を書き上げてから、調子に乗って本当にミニスカートを履いてみようと思った。
もちろんこっそりと。
でもミニスカートがなかった。
3年前、今の部屋に引っ越す際、荷物を減らすためにしばらく着ていない洋服は処分したのだった。
残念。
もう新たに買うことはないだろうな。
なんてミニスカートへの未練で少し寂しくなったところで。
初回からここまで「可愛い」について掘り下げてきたけれど、もう「可愛い」については満腹状態という方もいるかもしれない。
私自身、実は迷走している感も否めない。
そこで一旦視点を変えて、男性の「カッコいい」についてちょっとだけ考えてみることにする。
私は所謂「イケメン」というものにあまり興味を惹かれない。
確かに顔が整っていてきれいだな、とは思うけれどそこから先の感情が湧くことは圧倒的に少ない。
それはテレビに出ているような有名人でも、身近にいる男性に対しても同じこと。
高校生の頃、大好きな俳優さんがテレビに出ていたとき、母親に「この人カッコ良くない?」と言ったら「あんたはじゃがいもみたいな顔が好きなのね。」と言われたことがある。
そこまで言わなくても、と思ったけれど、まぁそうか、とも思った。
実際に好きになる人も、特別「カッコいい」という人はいなかった。
多分だけれど、私と同じような感覚の女性はそれなりの数いると思うのだ。
決して不細工な顔が好みでそれしか愛せないという極端はことではなくて、単純に外見に重きを置いていないというか。
そうはいっても好みはあるけれど。
私の場合は顔のパーツが線で描けそうな薄い顔が好きだったりするけれど、反対に彫りの深い顔が好きという人もいるだろう。
そんな自分にしか分からない基準も織り込みつつ、一番は男性の内面や雰囲気に惹かれる女性もいるのが事実だ。
それに対して、男性の女性に対する見方は全く違う気がする。
もちろん内面を見てくれる男性もいるが、初対面でのジャッジは雰囲気なんかの実体のないものではなく、やはり外見になりやすいように思う。
あくまでも、男性にジャッジされてきた女性である私一個人の見解ではあるが。
それは一般的に「可愛い」と言われる整った顔であったり、胸が大きいとか脚がきれいとか、はっきり目で見て分かるものが基準になることが多い。
その時点ではじかれると、その後巻き返すのはなかなか難しいような。
動物の世界ではオスの方が派手な見た目をしていることが多い。
見た目だけではなく、求愛のために歌ったり踊ったりするのは大体オスだ。
それはメスに選ばれるため。
自分の遺伝子を残すにはメスに選ばれないといけないから。
だけれども、それが人間の世界では逆になっている。
より優れた男性に選ばれるために女性が着飾り、性的なアピールをすることもある。
なぜだ。
という疑問は著名な学者さんの本でも読むとして。
多くの男性から「可愛い」と認められることで女性は自信を持ち、より輝くようになる。
そこに快感を覚える気持ちは分からなくもないけれど、それによって満たされるものとは何だろうか。
残念ながらそのような経験をしたことがない私がそれを想像すると、大層歪んだ見方になってしまう。
自己顕示欲が満たされるのか。
他の女性より優位に立っていると思えるのか。
この世の全てを手に入れた気持ちにでもなるのだろうか。
やっぱり私には想像できない。
仮に想像できたとしても、それに共感することはできなさそうだ。
私は大勢の男性に「可愛い」と言われるより、自分が本当に好きだと思う男性に「可愛い」と言われることが一番嬉しい。
その人にだけ、自分の存在を認めてもらえればいいし、他の女性なんて目に入らないくらい私に惚れてくれたらいい。
その人の気持ちを手に入れることができたなら、他の人の気持ちなんてなくていい。
これは不細工の負け惜しみかしら。
そう捉えられても文句は言えないけれど、これだけ「可愛い」に呪われ執着し、その中で自分とどれだけ向き合っても、何周思いを巡らせても、たどり着くのはそこなのだ。
以前にもお話ししたけれど、今私がお付き合いしている人は私のことを「可愛い」と言う。
私はこの人と出会って、お付き合いするようになって、人生が変わった。
離婚して以来、もう誰かを好きになることなんてないと思っていたし、女としての自分を諦め、生きること自体もうどうでもいいと思っていた。
周りの空気に飲まれて何となく婚活をしてみた時期もあったけれど、年齢や自分の容姿へのコンプレックスから、結局うまくいくことはなかった。
まだ彼とはただの知人くらいの距離感だったあるとき、そんな私の欠けている部分を面白可笑しくネタとして話していたら、それまで笑って聞いていた彼が「全然そんなことないのに。魅力あるのに。」と少し真面目に言ってくれた。
その後付き合うようになり、もう数年が経つけれど、あのとき彼がそう言ってくれたことを、私は一生忘れることはないと思う。
女としての自信を失い、生きることさえ面倒になっていた私に、真っ直ぐ投げてくれた言葉。
それはいつも彼がくれる「可愛い」も同じこと。
私に自信と安心と勇気を与えてくれる。
彼がそばで見ていてくれることで、女としての部分だけではなく、人としても強くなれるのだ。
私にとって大好きな人からの「可愛い」は特別。
容姿に自信がない私だからこそ、私の中身を見て知って理解して受け入れた上で、言ってくれていることが分かるから。
そしてそれが生きる勇気になる。
今度、彼に「可愛い」と言われたら素直に「ありがとう」と言ってみよう。
きっと少しぎこちないだろうけれど、精一杯の感謝を込めて。
●過去の記事
女はミニスカート、いつまではいていいですか①~「可愛い」に呪われた女性~
https://moribayashigenjin.jp/archives/12309
女はミニスカート、いつまではいていいですか②~「可愛い」の正体~
https://moribayashigenjin.jp/archives/12326
女はミニスカート、いつまではいていいですか③~ミニスカートの中身~