著:フシダナナコ
20代の頃、芝居、映画制作、ダンス、結婚、離婚とやりたいことをやり尽くし、40歳を目前にして現実に気が付く。
現在は普通の会社員。
休日には趣味のもの作りに没頭し、愛犬と戯れるのが唯一の癒し。
得意技はちょいダメ男の一本釣り。
このコラムのお話をいただいて以来、ずっと「可愛い」について考えている。
最初のテーマとしていただいたものではあるが、考えすぎて文字だけではなく、その意味までもがゲシュタルト崩壊を起こしつつある最近。
「こんな文字だったっけ?」「なんでこんな文字なんだ?」「いや、そもそもこれ文字だっけ?」みたいな感じ。
混乱を極めた脳みそで、冷静に考えてみる。
10代の頃に抑え込んだ自分の中の「女性性」。
その影響からか、周りの女の子たちが当たり前に可愛くあろうとすることを、私はとても冷めた気持ちで斜めから見る癖がついてしまった。
特に高校生の頃。
世の中は女子高生ブームの真っ只中。
「コギャル」という言葉や存在が世間を賑わし、制服のスカートを短くし、足元はダボダボのルーズソックス、というのが女子高生の象徴だった。
が、私はどちらも履いたことがない。
スカートは規定の長さにしていたし、靴下も紺や白のハイソックスを貫いた。
決して興味がなかったわけではない。
ミニスカートを履けば脚は長く見えるし、ルーズソックスは脚のコンプレックスを隠せる。
本当は可愛いと思っていた。
でもやはりここでも顔を出すのが、自分の「女性性」への抵抗。
流行りに乗りたくないというひねくれた気持ちと合わさって一番頑なになった時期だった。
地味で不細工な自分が、女の子らしく可愛くあろうとしたら誰かが笑うのでは、とどこかで思っていた。
ただの被害妄想と言われればそれまでだけれ、10代のあの頃なんてそんなものではなかろうか。
それは異性の目より同性の目を気にしてのことだったように思う。
女子の世界はとても残酷だ。
何でもない顔をしてとんでもない爆弾を投げつけてくる子もいれば、陰でこそこそとネガティブキャンペーンを展開する子もいる。
もちろん敵意も悪意も剝き出しで真正面から切りかかるような子もいた。
そういう子たちはなぜか決まって人の小さな変化に気付くもので。
髪を結ぶゴムの色がいつもと違うとか、鞄に新しいキーホルダーが付いているとか。
そんな些細な本当にどうでもいいことを攻撃のネタにしてくるのだ。
そんな中でちょっとでもスカートを短くしようものなら、何を言われるか分からない。
それが例え攻撃ではなく、称賛であったとしても周りの女子から「女」の部分を指摘されることが私は怖かった。
その一方で、男子の目が気になるのも事実。
男子に媚を売るようなことはしたくなかったし、自分にできるとも思っていなかったからしなかった。
とりあえず「ブス」とだけは言われないように。
それだけだった。
そんな窮屈だった高校生活ももう少しで終わりを迎えるという頃、私は地元の大学のサークルに顔を出すようになった。
彼らが学園祭の宣伝として、地元の駅前で路上ライブをやっていたのを見たのがきっかけで。
そのサークルはほぼ男性しかおらず、女性の部員は2人だけ。
そのうち1人はもうすぐ卒業するタイミングであまり出入りしておらず、もう1人は近くの別の大学に通う学生さんだったので同じく頻繁に部室に来ることはなかった。
だから基本的に部室にいるのは男性だけ。
そんな場所へ私はたまに短めのスカートを履いて遊びに行った。
それは私なりの精一杯の「可愛い」の表現方法だった。
私の中でミニスカートとは「可愛い」とイコールの存在である。
それは40歳を過ぎた今でも変わらない
幼い頃に大好きだった魔法少女シリーズの主人公も、テレビの中でキラキラと歌って踊るアイドルも、可愛い女の子はみんなミニスカートを履いていた。
そしてミニスカートは女の子を可愛く見せるアイテムで、女の子だけが身に着けられる特別なものだと思っていた。
そんな「女性性」の権化とも言えるミニスカートを、私は男性ばかりのところへ履いて出掛けていたのだ。
今思えば滑稽である。
あれだけ疎ましく思っていた自分の「女性性」を全力で示そうとしていたことも、あわよくばそこにいる男性陣に「可愛い」と思ってもらいたい、とさえ思っていたことも。
結局そのときの私がしていたことは、制服のスカートを短くしていた彼女たちと何ら変わりはしないのだった。
でもそれができたのは、攻撃してくる同性の目がなかったから。
そして少し年上の男性陣だったこともあり、私のそんな小手先のやり方ですら可愛げがあると思ってもらえたから。
私の中での「可愛い」とは、同性に向けてではなく、自分の恋愛対象や性的対象になり得る相手に対して、気付いてほしいと思うものなのかもしれない。
とはいえ、同性の女の子にだって可愛いと思ってもらえたらそれはもちろん嬉しい。
ただやっぱり女の子の目は厳しく、外見がどれだけ可愛かろうが綺麗だろうが、内面が伴っていないとそんな評価は下されないのだ。
これもまた女子の残酷なところ。
結果として、そのサークルで私のことを「可愛い」なんて言う人もいなければ、女性として、性的対象として見る人もいなかった。
厳密に言うと「そのときは」だけれど。
大人になってからの話はまた別の機会にでもお話しできればと思う。
こうして自分の中にある「女性性」や「可愛い」というものに対して、少しだけ許容できるようになってきた10代の終わり。
この後、前回お話しした「友達が可愛くないって言ってたよ事件」を起こす彼と付き合い、また私には心を固く閉ざす時期が訪れるのだけれど。
素直になれる、なれないを繰り返し、いい加減大人になった今もなお「可愛い」から解き放たれることはなく。
もうすっかりミニスカートなんて履ける年齢ではなくなったけれど、一人の部屋でなら、こっそりと履いてみるのも悪くないのかもしれない。
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女はミニスカート、いつまではいていいですか④~じゃがいもと孔雀~