著:フシダナナコ
20代の頃、芝居、映画制作、ダンス、結婚、離婚とやりたいことをやり尽くし、40歳を目前にして現実に気が付く。
現在は普通の会社員。
休日には趣味のもの作りに没頭し、愛犬と戯れるのが唯一の癒し。
得意技はちょいダメ男の一本釣り。
前回「可愛い」に呪われた女の話をお聞きいただいた。
他の誰でもない、私のことですが。
誰がかけたかも分からないこの呪い。
それはいつどのように始まったのか、まずは記憶を辿ってみようと思う。
私は子供の頃は可愛かった。
「子供」と一言に言っても幅は広いが、ここで指すのは幼児期のこと。
近所のおじさんおばさんには持て囃された。
写真屋さんのおじさんが、あまりに可愛いからとお店のショウウィンドウに私の写真を飾っていたくらい。
私の母親はそれが誇らしかったらしく、今でも当時の写真を見ては「あんた可愛かったのよ。」と言う。
どんな形であれ、娘が褒められるというのは親は嬉しいものらしい。
確かに、自分でも当時の写真を見ると可愛いと思うが。
でもこれ、何てことはない。
幼児期なんて、誰でも可愛いものだ。
この場合の「可愛い」は自分より小さい赤ちゃんや幼児、動物なんかに用いられる言葉。
おそらく私がかけられている呪いはこの「可愛い」とは違う。
では私が憧れながらも疎ましく思う「可愛い」の認識はいつ生まれたのか。
何となくではあるけれど、きっかけは小学5年生のときだった気がする。
ある日突然、男子と女子が分けられて別々の教室に入れられた。
今はどんな風に行われているのか分からないけれど、私たちの時代はこうして性教育と言われるものを受けた。
「女の子はこれから月経というものが始まります。これは赤ちゃんを作るために体が準備をしているのです。」みたいな内容だったと思う。
加えて赤ちゃんができるしくみとして、とても簡潔にセックスについて聞いたような。
当然、授業後に男子と女子でお互い何を聞いたのか、という一騒動が起きた。
男子も女子もみんなちょっと恥ずかしそうにしたあの瞬間。
それぞれの「性」というものを意識し始めたあの瞬間が、きっかけだったのではなかろうか。
それまでも「○○くんカッコいい」とか「○○ちゃん可愛い」なんていう小さな恋の話はみんなの中にあった。
でも明らかにそこから意識の仕方が変わった気がする。
お互い異性の目を気にするようになり、特に女子は可愛く見られようと努力する子が増え、「可愛い」と「それ以外」の差がくっきりと浮かび上がってきた。
それは中学校に上がるとより顕著になり、小学校までは「可愛い」と「それ以外」だけだったのが「可愛い」「可愛くない」「ブス」に評価が細分化された。
その評価は誰が決めたものかは分からない。
男子側の意見もあれば女子側の意見もあるだろう。
何にせよ「ブス」寄りの「可愛くない」にいた私は女子としての自信をなくし、かつ、可愛くあろうとする女子を「男子に媚売ってチヤホヤされて何が楽しいんだろう」と冷ややかな目で見るようになった。
この頃から自分の中にある「女」の部分に対する自尊心が低かったのかもしれない。
いや、低いも何も、そんな自尊心なんてものが芽生える以前に、その芽すらないことにしたのだ。
おそらく、これが呪いの始まり。
それでも誰かを好きになり、付き合っては手すら繋ぐことなく一方的に別れる、という残酷な行為を繰り返した高校時代。
その後、19歳のときに付き合った子がいた。
1歳年下のバイト仲間。
私も自分の愚行を反省し、少しは相手の気持ちを考えてお付き合いしようと思うようになっていた。
そして、手も繋ぎキスもした頃。
当時はプリントシール機の全盛期で、容姿に自信のない私も嫌々ながら彼の要求に応じ一緒に撮ったことがあった。
後日、彼がこんなことを言った。
「友達に見せたらさ、全然可愛くないねって言われたんだよねー。」と。
ショックだった。
友達同士で彼女の品評会をするのは百歩譲って良しとしよう。
でもその結果報告はいらない。
褒められていたならまだしも、なぜ相手が傷つくと分かることをいちいち報告したのか。
ショックが大きすぎて何も言えず「そっか。そうだよね。」と笑うしかなかった私は、彼のその発言にどんな意図があるのか聞けなかった。
ただ、私は可愛くない彼女で、きっと一緒にいるところを見られたら恥ずかしいだろうからこの子の友達とは絶対に会わないように気を付けよう、と思うしかなかった。
今なら聞ける。
「で、君はどう思ってるの?」
これだけ「可愛い」というものに縛られてきても未だにその正体が分からない。
ただぼんやりと見えてきたのは、万人からそう思われたいわけではないということ。
もちろん、誰からも褒めてもらえるのならそれはとても嬉しいことだ。
でも、たくさんの人に「可愛い」と言ってもらえたら、それで私の乏しい自尊心は回復するのだろうか。
多少は気持ち良くなれるかもしれないけれど、やっぱり何か違う。
それは誰かと比べての評価だったり、知らないうちに作られている世間の基準によるものだと思うから。
私を見てほしい。
私個人を見た上で「可愛い」のか「可愛くない」のか「ブス」なのか。
どう感じるかはその人次第で、例えば「世界一ブス」と言う人もいれば「世界一可愛い」と言ってくれる人もきっといるはず。
これまで呪いにかけられながらも、恋することを繰り返し全てを拒絶できずにいたのは、どこかでそんな希望を持ち続けていたからかもしれない。
今お付き合いしている人は私のことを「可愛い」と言う。
例によって私は「こんなババァに何言ってるの?」と茶化して返してしまうが、彼は「今目の前にいるこのババァが可愛いんだよ。」と言って優しく頭を撫でてくれる。
女としてこんなに幸せなことはない。
一番可愛く見られたいと思っている相手に「可愛い」と言ってもらえるのだ。
「なんだよ!結局可愛いって言われて幸せ感じてるんじゃん!」と思われたかもしれない。
でもまだ私は素直に「ありがとう」と一言目で返すことができない。
まして「でしょ?」なんて自信を含んだ言葉を言えるわけもなく。
ここでふと思った。
「可愛い」の呪いから解かれるための小さな光は見えた。
でもまだ私は素直になりきれないでいる。
余程呪いの根が深いのか、それとも別の何かが私を縛りつけているのか。
どちらの可能性も残しつつ、今回はこの辺で
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