『公式ホームページ』森林原人

セックスにおける“痛み”と“快感”の関係とは? 〜 第一回『性愛の探求セミナー』レポート(後編) 〜

著:環子(ワコ)

ライター歴15年。「性愛のつながり」を探求したくて、ときどき性にまつわる取材記事を書いています。

今後は「歳を重ねるほど豊かになるセックス」を考えていきたい。

最近興味があるのは、女性用風俗とネコ。Twitter:@wako_log

 


 

 

AV男優 森林原人の新たな試み『性愛の探求セミナー』。このためだけに撮り下ろしたオリジナルのドキュメンタリー映像を通じて、「性愛の本質」に迫るプロジェクトだ。

第一回目のレポート後編となる今回は、セミナー後半に上映された『いたみのセックス』をご紹介。中編同様、映像の詳細な内容と森林による講義の様子をお届けする。

 

 

また、ご紹介する映像は、セミナーに参加された方のみがご視聴いただけるもの。残念ながら、今後ご覧いただくことはできないが、内容を文章化しているので、以下のURLからお目通しいただき、これ以降のレポートをお読みいただけると幸いです。

 

↓ 映像の内容を文章化したものはこちらからご覧いただけます。

https://moribayashigenjin.jp/archives/13573

 

 

痛みは本当に必要だったのか?

 

この日、2本目となった『いたみのセックス』は、1本目とは趣の異なる作品だった。撮影行程は1泊2日。同行メンバーは、出演者の一般女性と森林の他、同じ“代々木組男優”として気心の知れた佐川銀次。東京近郊の貸別荘までロケバスで移動する道中の様子はちょっとしたロードムービーを彷彿させ、ワクワク感すら湧いてくる。

都心を離れ、日常から切り離された空間でとことんセックスと向き合う撮影方法は、代々木監督が好んだスタイル。実は、撮影した順番から考えれば、本作が第1作目とのこと。その内容には、随所に代々木作品へのオマージュが散りばめられていた。

 

 

同作では森林は裏方にまわり、出演は先輩である佐川銀次に任せている。というのも、今回の出演女性「みづきさん(仮名)」は、十数年前にAV女優をしていた経歴を持つ。その現役時代にもっとも気持ちよかったセックスの相手が、銀次だったという。

その撮影は、SMジャンルのなかでも“女優が身体中を叩かれる”という過酷な設定だったそう。顔や尻が腫れ上がるまで叩かれたにも関わらず、彼女はそこで初めて強烈な快感を得る。それ以来、痛みを伴うプレイを好むようになり、プライベートではSMパートナーまでつくったというのだ。

 

森林は「“痛み”と“快感”の関係性」をテーマに作品を撮ることにしたが、実際に撮影をスタートしてみると内容は思わぬ方向に進んでいった。

 

 

 

セミナー後半の講義では、『いたみのセックス』からテーマを3つ導き出し、その解説と考察がなされていった。3つのテーマの順を追ってレポートしていきたい。

 

  • つながる手段としての痛み

 

『いたみのセックス』と名づけられた本作だったが、結局、実際の現場で、みづきさんと銀次が痛みを伴うセックスを行うことはなかった。銀次が彼女との対話から「痛みのあるセックスはもう卒業だ」と導き出し、その後に行った痛みのないセックスで幾度となく深い快感に翻弄されていた彼女の様子を見れば、それは的確な判断だったと言えるだろう。

 

みづきさんは映像のなかで、これまで痛みを求めていた理由は「しっかり自分を見て欲しかったからかも」と語っているが、森林はさらに別の視点からの見解を加えている。

 

 

「痛みは身体に強い実感を生み出すため、セックスをしている感覚を強めてくれます。それはまた、行為が終わった後の寂しさを紛らわせてくれることにもなりますね。噛み跡やキスマーク、痣などの傷跡が、セックスがあった確かな証拠になってくれるからです。

ただ僕は、痛みを拠り所にするセックスは、身体の感覚に頼りすぎていると同時に、感情がひねくれていると考えます。目の前に相手が存在するのだから本来なら感情は相手に向かうべきです。しかし、痛みありきのセックスでは感情が自己完結しています。SMの悦びのひとつに陶酔できるという点がありますが、相手に夢中になるのとは違い、自分の立場や境地に酔いしれるものです。

そしてさらに、セックスのなかで痛みを受け入れることは、相手に対して自分を差し出す行為でもあります。身体の本質から言えば、痛みは傷つきであり嫌うものです。それなのに傷つくことも厭わず相手の望むままにさせるのは自己犠牲です。傷が深いほど、身体的負担が重いほど相手の役に立っていると感じられるので、犠牲心に陶酔でき自己肯定も強まります。ただし、このときの自己は心を持つ人ではなく、心がない、もしくは心を封印した状態のモノとしてです。

 

 

心をないものとしているモノの状態は、理屈では感情が存在しません。でもモノとしてでもいいから必要とされたいと思う時、心が存在してしまいます。徹底してモノになりきることが出来ないのは、この矛盾からしても明らかです。

これはみづきさんの話ではありませんが、いわゆるヤリマンと呼ばれる女性たちが、セックスをさせれば男性が寄ってくるので、それで寂しさを紛らわすケースがあります。これもモノになって利用価値で自己肯定しているので、同じ心の動きですね。自尊心が低い人は、“自分はセックスをさせないと相手に必要とされないんじゃないか、捨てられてしまうんじゃないか”と考えてしまう。誘いを断ることができない都合のよい存在になってしまう。本当は内面まで求められたいけど、そうならなかったときに心が傷つくから、身体だけの関係でいい。望み通り身体を必要とされ安心できた瞬間に心が存在してしまい、モノになっていることに虚しさを感じてしまう悪循環。

話をみづきさんに戻すと、みづきさんは相手とつながっていく手段として痛みを選んでいた。でも、本当のつながりはもう少し別の精神的なところにあるんじゃないか?という部分が、今回の撮影で考えていきたかったことなんです」

 

 

 

見つめ合うこと、心と身体。つながるために欠かせないもの

 

  • 見つめ合うこと

 

ここで一度、男優・佐川銀次についても触れておきたい。銀次は男優歴30年。その強面とは裏腹に、女優と心でつながれる実力派として業界内では一目置かれる存在だ。森林もことあるごとに「もっともセックスがうまい男優」と紹介している。そのセックスとは、一般的なAVにありがちな視聴者に見せるためのものではなく、代々木から教わった「まぐわい(目合い=見つめ合うことで愛情を通わせるセックス)」を誰よりも深く実践できるという意味なのだ。

 

そんな銀次が、みづきさんに痛みの代わりに提案した“つながるための手段”とは、他でもない、ひたすら見つめ合うことだった。撮影中、みづきさんは、銀次のまなざしに引き込まれるように一心に見つめ続ける。そこには確かに、愛情か信頼か、目に見えない何かが通い合っているように感じられた。さらにそれは、まるで催眠術のように、彼女を深い快感へ誘ったのだ。言葉と手だけのセックスであんなにも「まぐわい」の威力を発揮できたのは、銀次が相手だったからだろうと森林は言う。

 

 

「ふたりは、本当に長いこと見つめ合っていましたよね。普通のAVなら『銀次は男前じゃないんだから、画がもたないよ!』とカットされてしまうところですが(笑)、僕としては画がもっていたと思います。だって、みづきさんが飲み込まれていたというか、少なくとも彼女は銀次さんに魅了されていたことが明らかでしたから。

みなさんからの感想でも「銀次さんかっこいい!」とありましたが、きっとそう思える人は、見つめ合ってセックスできる人だと思います。でも、見つめ合うふたりを見て笑っちゃう人もいるんです。セックスにおける笑いは、“逃げ”なんですよ。“笑う”という行為は、自分自身に「私はいま笑えるくらい安全な立場にいる」と思い込ませる効果があります。追い詰められた時になぜかヘラヘラしてしまうのは、そういう理由。笑うことで、自分のなかにある緊張や不安を誤魔化そうとしているんですね。

代々木さんの有名な言葉に『真面目におまんこしろよ』というのがあります。“真面目にセックスしろよ”という意味ですが、では真面目にセックスするとはどういうことでしょうか? 僕の解釈では、それは相手に夢中になること。そうすれば自然と目を見るでしょうし、相手とつながっていけるのだと思います」

 

 

  • 心と身体

 

本作で、みづきさんと銀次は2度セックスをした。1度目は着衣のまま。見つめ合い、お互いの手を性器に見立てて挿入をする、いわばイメージのセックスだ。そして2度目は、裸になり、実際に挿入行為のあるセックス。

森林は双方を比較して、心と身体の関係性について考察する。セックスにおける心と身体の関係性は、最近ずっと気になっているテーマのようだ。

 

「1本目に上映した『さみしさの秘密』の恵子さんは、挿入されて身体がつながった状態には次元の違うよろこびがあると話していました。

そして今回、銀次さんは、肌の触れ合いや挿入の有無の差を「温もりかな」と。僕には、この“温もり”という感覚がとてもしっくりきます。

確かに、言葉を使えば好意を伝えることはできる。また、記念日を祝うなど態度で愛情を伝えることも大事ですね。でも、やはりそれだけでは物足りなくて、身体がつながり、温もりを感じ合うことが大切なんじゃないかって。だから、相手からどれだけ大事にされていたとしても、手をつなぐ、一緒に寝る、抱きしめ合う、そんな時間があるかどうかで、ふたりの関係の安心感は変わってくると思います。

セックスを真面目に語ろうとすると、『大切なのは心』という結論に落ち着きがちですが、それが偏りすぎると身体が置いてきぼりになってしまいます。心は大切。でも、同じくらい身体も大切。心をなくしモノとしての身体だけでつながるのも、心を神聖化しそこだけを大切にするのも、何か違うんじゃないかと思うんです。

心と身体が揃って相手とつながっていくには、まず自分のなかで心と身体がつながっている必要があります。モノになってはダメだし、身体をないがしろにしてもダメ」

 

見つめ合うことは、心を通わせること。そして、自分のなかにある“心”と“身体”と“本質の心(性)”、そのすべてを一体化させて相手に向かっていくことが、深くつながるセックスをかなえていく。森林はそう考えている。

 

 

 

人に寄り添うとき、心に留めておきたいこと

 

講義の終わりには、質疑応答の時間が設けられている。『性愛の探求セミナー』は、これまで森林が手掛けてきた他のセミナーに比べて小規模であるため、濃厚な質疑応答が可能になるのもひとつの魅力だろう。5月14日にあったある質問の回答が素晴らしかったので、ひとつご紹介させていただきたい。

 

質問を投げ掛けたのは、ある男性。前半の講義で話が出た「深く傷ついた状態の人がセックスで誰かとつながることは、暗闇に光が射すことになる」ということに関連して、「いま現在、真っ暗な闇のなかにいる人に光を届けるにはどうすればいいか?」という問いだった。

 

森林は、暗闇の世界にいる人に寄り添う方法について、自身のこんな見解を述べた。

 

「まず、自分が光であると思わないことですね。『救ってあげたい』と思う気持ちは、相手を傷つけることがあります。できるのは、相手が光に気がつくことを待っていることではないでしょうか」

 

 

男性はさらに質問を重ねる。「では、どのように待てばいいでしょうか?」

 

「実は僕も、若い頃に、恋人を不幸な境遇から救ってあげたいと考えたことがありました。白馬の王子様みたいになろうとしたんですが、それは間違っていた。当時は愛情と同情の違いがわからなかった。愛情のふりした同情は言動の節々に現れ、相手を見下しているのと同じことで、相手はかえって惨めな気分になってしまうんです。自分がいる境遇を普通、もしくはそれなりだと思っていたのに、そうではないんだといちばん近くにいる相手から指摘されるなんて人生丸ごと否定されるようなものです 。消えてしまいたくなりますよ。

大事なのは、セックスでたとえるなら、イカせようとするのではなくただ抱きしること。たとえば、赤ちゃんは言葉が通じませんが、“泣いたらとにかく抱きしめる”ことを繰り返していくうちに、身体で安心を覚えますよね。その人が傷ついてきた以上に、抱き締めてあげることだと思います。もちろん、時間はかかりますけどね。

それともうひとつ重要なことは、『誰かを救いたい』と思うときは、自分自身もどこか傷ついている場合があるということ。だから、一方的に癒すわけではなく、お互いに癒されていく。そんな向き合い方が大事なのでしょうね」

 

 

今回、上映された作品のなかでも、銀次と森林は、女性たちにじっくりと寄り添い、彼女たちの奥にある“本質の心”が現れるのを待ちながらセックスを進めている。そのことは結果的に、彼女たちに気づきを生み、いまいる場所から前進するきっかけを作っていったのではないだろうか。

この男性の質問は、直接セックスに関わることではなかったが、本セミナーの最後に、セックスとは、結局、ふたりの関係性の縮図なのかもしれないと考えさせられた気がした。

 

そして、この同じ日、実は、森林が師と仰ぐ代々木監督が会場に訪れていた。4時間を超えるセミナーに参加された感想をお伺いしたので、最後にお届けしたい。

 

「性愛を探求するこんな試みは、世界広しと言えども、きっとここだけじゃないですか。森くんは“語れる言葉”を持っているから、本来は言葉にしがたい体験であるセックスを、わかりやすく説明することができる。僕のやり方を継承すると言ってくれているけど、僕なんかよりずっと素晴らしいですよ。それから、仲間がいるのもいいですね。あとは、お互いに生の言葉が届くこの規模感もちょうどいい。こうして参加されたみなさんが、各々感じたことを発信していく、そんな広がり方があってもいいんじゃないかな」

 

森林は、長きに渡る男優歴のなかで、性愛の知見の多くを代々木から学んだという。それを伝承する気持ちで、今後もさらに本格的に発信していきたいと考えている。

 

 

 

『性愛の探求セミナー』初回となった今回は、参加者各々が“相手とつながるために必要なこと”について考えを巡らせるよい機会となったのではないだろうか。

恵子さんは「ひとりでは解決できない問題も、受け入れてくれる相手がいるだけで幸せになれる」と語った。みづきさんは、銀次との時間を「生まれてきてよかったと感じられるほど、充実したセックスでした」と振り返った。

森林がセミナーの前半に語った「性=本質の心」という仮説は、これから回が進むごとにますます確証を得ていくのかもしれない。

 

性愛の探求は、まだ始まったばかり。8月末〜9月頭には、第2弾の開催日も決定しているので、ぜひ参加をご検討いただけたらと思います。

 

森林原人とともに、セックスの奥深さを探求してみませんか?

 

◆第2弾『性愛の探求』セミナー 紹介ページ

https://moribayashigenjin.jp/archives/13205

 

◆お申込みページ

https://ws.formzu.net/fgen/S248315097/