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代々木忠監督から教わったこと〜二村ヒトシ編〜

オンライントークイベント『代々木忠監督からのラストメッセージ~性の深淵をのぞいた ら人生が変わった~』が、予定通り(2022年)1月29日に開催され無事に終わりました。

当初はリアル参加をメインに考えていたイベントでしたが、コロナの感染拡大状況を踏まえ てオンラインのみに切り替えました。

目の前にお客さんがいない状況で話すのは、反応が わからないので物足りなさがあります。

代々木さんが監督人生を通して伝え続けていた 「目を見る」というメッセージが、最後のイベントで叶わなかったことは正直悔しいです。

ですが、オンラインだからこそ人数制限もなく多くの人に届けることが可能だったし、 アーカイブとして残るのでリアルタイムじゃなくても見てもらうことが出来ます。

そういった意味で、代々木さんの思いや考えを伝えるのに不都合ばかりではなかったと前向きに考えています。

イベントが終わり、その日、いや翌日まで、祭りの後のような喪失感と達成感が入り混 じった余韻に引きずられていました。

そして改めて、代々木さんが引退されたことを実感 し、心細さを感じています。

僕にとって代々木さんは港の灯台のような存在でした。

性愛 という大きく広い海に出て行くにあたって、帰る場所、戻るべき所として存在し、教え続 けてくれる方でした。

代々木さんから教わっていたのは僕だけではありません。

「素直になることの大事さを知った(平本一穂)」

「セックスの基本を教えてくれた(片山邦生)」

「上手い言葉じゃなくて、感情を優先させることを教わった(佐川銀次)」

「深いセックスを教えてくれた(日比野達郎)」

「セックスでしか得られない温もりや安堵を知ることができた(吉村卓)」

「人間としての土台のようなものを作ってもらった(市原克也)」

代々木作品に出た男優の多くが何かしらを得ています。

現場に行って、こういった宝物と なるお土産がもらえることはなかなかなくて、それだけ代々木さんの現場は特別でした。

イベントは二部構成で、面接軍団の男優達が話す前半と、代々木さんが登場する後半に なっていました。

前半部分では、それぞれの男優に

「明け渡す(吉村卓)」

「男らしさの殻(片山邦生)」

「代々木式 水素理論(森林)」

「感情の解放(市原克也)」

「目合い(佐川銀次)」

「代々木さんと母性(平本一穂)」

といったテーマで、代々木さんから教わったことや考えているであろうことを話してもら いました。

代々木さんが登場してからは、引退を決意された思いや、監督人生を振り返って印象的な 出来事、現在の心境や関心事などを聞いていきました。

そして、代々木さんから視聴者、ファン、出演者、世の中のひとに向けての言葉をもらいました。

 

※代々木忠監督のラストメッセージ全文

 

最後に、面接軍団一人一人が代々木さんへの感謝の言葉を伝え、花束を渡しました。

ここ で、みんなが感極まり涙を流していました。

それぞれが代々木さんと過ごした時を思い出し、それを愛おしく大切に感じていたのではないかと思います。

それから、監督人生として一等賞という意味を込めて、代々木さんの首にオリジナルの金 メダルを掛けさせてもらいました。

代々木さんからは翌日、ご自宅にお花を飾っている写真とメッセージが届きました。

「みんなのおかげで幸せな監督人生でした。本当にありがとう」

間違いなく面接軍団みんなが思っています。

「代々木さんに出会えて、代々木さんの組で男優をやれて、良かったです。本当に、本当 にありがとうございました」

人生においてこれほどに尊敬し、愛せる人に出会えた僕たちは幸せです。

みんな、代々木 さんが大好きです。本当にありがとうございましたと感謝の気持ちでいっぱいです。

『代々木監督からのラストメッセージ』というタイトルでしたが、代々木さんと男優達の 絆の深さを確かめ合うようなイベントになっていて、もしおいてきぼり感を感じた視聴者 がいたとしらごめんなさいです。

僕は代々木さんやその作品への思い入れが強く、客観的に伝えられません。

なので、代々 木作品に出ながらも近くなりすぎない距離でいつづけた二村ヒトシさんを通して、作品に 込められたメッセージや読み取れる考えを深めていきたいと思います。

二村ヒトシさんへのインタビューも、ライターの河合桃子さんとしました。

原稿のベースを河合さんが書き、それに僕が加筆しました。

それなりに内側で、ほどほどに外側からの 代々木忠論になっているのでないかと思います。

 


 

二村ヒトシ
面接軍団の通称/ヒトシ、二村さん

 

●AVオタクから男優、監督へ。「代々木作品を知らなければ嘘だろ」と思ってた

慶應義塾幼稚舎から小中高を経る華々しい経歴でありながら、小中とアニメ好で慶應義塾大学文学部に進学後はそれにAVマニアの趣味も加わり、オタク街道まっしぐらだった二村。

サークルは演劇研究会で、大学在学中に劇団を主宰しながらAV男優としてもデビューする。『全裸監督(Netflix)』のモデルとして有名な村西とおるのダイヤモンド映像の作品にも多数出演。

男優を始めてから程なくしてAV監督としても活動を始めるが「エロの好きなサブカルの若者がたまたまAVで収入を得て、無名ながらも生計を立てている」みたいな感じで「一生の仕事になるとは夢にも思わなかった」という。

今では業界を代表するAV監督であり、執筆業やトークイベントで見せる性愛への考察の深さから文化人としも認知されている二村 にとって、代々木はどんな存在なのだろうか。

「学生時代からAVオタクだったので、当然ながら代々木さんの作品はビデオ屋で借りてほ とんど見てましたよ。

実際にAV業界に入ってから、当時の業界で言われていたのは“代々 木さんは人間をえぐり出す”ってことでした。

代々木さんはそこにいる“人”を撮ろうとして いたんです。

カンパニー松尾もバクシーシ山下も面白かったけど、代々木さんはまた彼らとはまった く違う面白さがあった」

AVという言葉が出来る前から代々木は撮り始めていて、その作品では女性のオーガズム が見れると世の男性の多くを興奮させ驚かせた。

一方、カンパニー松尾はカメラを回す本 人がセックスをするハメ撮りスタイルで、女優との距離感の近さから生まれる生々しさと

時に感傷的なテロップで松尾の内面を語ったり、要所要所に差し込まれる風景描写や 女優の何気ない姿と音楽が相まって見ている者たちに興奮と憧れを抱かせた。

「代々木さん以外にもいろんな歴史的監督の現場に参加したり見学させてもらってきた。

小路谷秀樹、麻魔羅少将、豊田薫、ヘンリー塚本、TOHJIRO。それぞれが自分の世界を作っている監督で。

その後、AVメーカーのドグマの立ち上げにも参加して、痴女モノを 確立していったんですけど

ドグマの専属監督を離れる時に『このタイミングで代々木さ んの元で基礎を学び直したい』って思ったんです。

僕の中では、このままAV監督を続けて いくのなら“代々木さんの現場を知らなければ嘘だろ”と思ってた」

二村が撮る作品では、多くのAVにありがちな男性上位なセックスが描かれることは少ない。

女性は、強かったり、デカかったり、口が達者だったりして、男優に支配されることなく

主体的に自分の好きなセックスをしていく姿がメインとなっている。

ただ、女性が主体的にセックスをしていく痴女モノなら二村作品以前にもあった。

それまでの痴女モノは、男女が逆転しているだけで、あくまでも上位下位の支配関係が あり、女性がそうであったように男性の主体性が否定されていた。

女性が穴として捉えら れていたがごとく、棒や竿としてのみ男性が存在していた。だから男優はわなわなしているだけだったり、セックスを拒絶してもそれを1ミリも聞き入れてもらえず人格がなかった。

痴女作品の走りと言われるゴールドマンやhideやアロマ企画が描く世界観は、まるで モンスターのうに圧倒的な女性の「下品さ」が世の男性達からすると新鮮だった。

それに対し二村の作り出した痴女モノは、圧倒的女性上位ながらも、男性にも女性同様 に感情が求められ、ともに欲情していく様が重視されていた。

長いキスシーンや男がしっかり感じ喘ぐところでそれらが表現されている。また、女性特有の性感帯と思われていた 乳首を男性にも開放したり、異性愛者の男性には本来ない“穴”という形状の性器をお尻に 見いだし、男女の垣根を取っ払っていった。

代々木作品にも、大きな括りで言えば痴女モノと呼べるものがある。

淫女隊シリーズや 性感Xテクニックシリーズ(性感エステティシャン南智子が主演)がそれに当たり、そこ では女性が主体的にセックスをしている。

他の痴女モノと違うのは、女性の快感に焦点が 当てられているだけでなく、男性のオーガズムも探求されている点である。

二村の作り出 す世界には、代々木の影響があるようにも見える。

女優名や企画内容で作品が売れるAVにおいて、監督名で売れることは希である。

二村は監督名で売れるまでになっていたにも関わらず、「AVというものにこれからも長く向き合 うのであれば、やはり一度は“人間をえぐり出す”現場を体験しないといけないのではない か」という思いに駆られ、代々木の門を叩いたという。

「ドグマを辞めてすぐに、代々木監督の元に自ら『面接軍団を体験させてほしい』と志願 したんです。すると代々木さんは『1回じゃ何もわからないから1年間(6回)男優し続けるな らいい』と期間限定で面接軍団に入れてもらえることになりました」

●痴女ものAVの雄とされる二村の原点。「近所のお姉さんとのラッキースケベ体験」

代々木に言われて印象的な言葉があるという。

「代々木さんからは『ヒトシはセックスが下手だな』と言われたことは忘れません (笑)。下手なんだけど、気がつくと騎乗位になっていて、女が自ら上に乗ってくように させるのが上手いって。

『それだけは天下一品だな』と言われた。それは僕の中では勲章 と思ってる。 たぶん、女に主導権を握らせることに何の抵抗感もなかったから。

面接官として主導する 立場にも関わらずいつの間にか寝転がり、乳首を攻めてくれとか、ちんちんしゃぶってく れとか、騎

乗位になって上で腰振ってくれっておねだりし甘え、喘いでいくことが好きと いうのは自分でも自覚してました」

騎乗位好きや女に主導権を握らせることに抵抗感がないのは、童貞喪失のこんな経験が大きく影響したという。


「初体験は19歳の時、近所の幼馴染で帰国子女の22歳のお姉さんでした。僕、大学でまっ たく勉強できなくて、特に英語がダメで、母がそのお姉さんに頼み込んで教えてもらうことになったんです。

お姉さんが僕の部屋に初めて来た日、夏だったんですけど彼女はデニ ムの短パンを履いて足にはペディキュアをしてた。当時は日本の素人女性でペディキュア してる人なんて見たことなくて。

部屋で二人きりになって、たまらずその足の指を舐めたんです。そこから彼女もなんとなくノってくれてセックスしちゃうんですけど『初めてな んて、嘘!』と言われました。その日から、英語を教えてくれるという名目で僕の部屋で セックスしてましたね。まるでAVみたいなラッキースケベな展開でしょう。

お姉さんは経験豊富だったから、それこそリードして色々やってくれちゃうようなこと もありました。

今にして思うと…なんでいきなり足の指を舐めた僕を彼女が受け入れてく れたかは、たぶん、僕のことが嫌いじゃなかったくらいのことだと思うんですよね。

それでいて足の指を舐めるなんて、突飛な行動をした僕を面白がって興味持ってくれたんじゃ ないかな。それ以来、僕は確信しましたよ。まずは女性には興味を持ってもらうことが大 事だと。あとは少しの行動する勇気だと」

AV業界で代々木の現場に行きたいと考える者は数多いる。

男優はもちろんのこと、監督 やスタッフからしても興味惹かれる現場なのだろう。だが、実際に自分から売り込む者は 少ない。二村はその行動力と勇気で望みを叶えた。

二村の原体験は、やがて「痴女モノ」という、女性が男性を襲って欲望を発散させるシチュエーションのAVを追求し続けるスタイルに進化を遂げる。

「基本的に僕が撮ってるのは、僕にとって都合のよい世界。つまりオタクが作るAVなんで す。基本的にAV監督には“自分が見たいビジュアルやイメージ”がはっきりとある場合が多い。

例えばヘンリー塚本監督だったら「ベロを見せる・女の発情した顔を見せる」という ビジュアルやイメージ。僕が撮りたい作品もその方向性に近い様な気がする。

ヘンリーさんからは「ドラマAVのセリフは棒読みのほうが、その後のセックスがエロくなる」というのを学んだ。

これは全世界で賞賛された映画『ドライブ・マイ・カー』の監 督・濱口竜介さんの演出論にも似ているし、もちろん代々木さんの「本気のセックス論」 とも本質的なところで関係ある。

感情は無理して作るのではなく、動き出すまで待たなけ ればならない。AVは嘘の世界=虚構の世界、でもだからといって映画のように虚構のまま 完成させることはできない。

虚実皮膜を作る中で代々木さんが何をしているのかを盗んで おかないといけないと思った。

代々木さんはカンパニー松尾や村西とおると違って、ご自 分で性器を出さない、あくまで見る側の人である位置付けを崩さない。

そして代々木さん は出演者に「演技をしなくて良い・プロである事を忘れろ」と言うが、そう言われると逆 に考えこまされた。

僕は代々木さんの作品には5~6本しか出演していないので、代々木さんの事を師匠と いうのはおこがましいが、南智子さん(性感Xテクニックシリーズにて主演)は確実に僕 の師匠の一人。代々木さんは南さんと一緒に男も解放されるジャンルがあるのかというこ とを学んだのではないかと思う」

 

●村西とおるはAVの父、代々木忠はAVの母

村西と代々木の監督としての方向性の違いを二村はこう語る。

「村西とおるは最初は監督ではなく裏ビデオのセールスマンで流通の原型を作り、ひ弱な カタギだったのがポルノを売る事

によって荒々しい男らしさ、ペルソナを身につけた商売人。

代々木さんは本物のヤクザから足を洗ってポルノの世界に来て、セックスの本質を考え続けたクリエーターで、村西さんとは対照的な人。

その二人が「日本のアダルトビデオとはどういうものなのか」を創り上げたと言っていいと思う。

ポルノというのは余計なものがあまり映ってはいけないというのがある。

僕もそうだし 多くの監督がそうだけど、自分が気に入った部分しか撮らないし、撮れても編集で残さない。

代々木さんはその場をかき回して、そこで起こった事を全部撮るので「逃げられな い」というのがある、そこで勝負するしかないという感じになる。

代々木さんの現場でセックスを楽しむためには、手を離すしかない。コントロール不能の状態にする」

代々木の現場では何も準備しない、作らないことがただただ求められた。

「代々木さんは撮影の前に煽ったりして、ねじはめちゃめちゃ巻いておく。撮影中もふざけたセックスをしていると怒ったりはするけど、セックスを監督がコントロールしようとはしない。そこが僕と違う。

僕は、自分が見たいものを見たいという欲望がいまだにある。代々木組に参加して、そこが自分と代々木さんの違いなのだなと思った。

村西さんは 父親を失っているから父を演じよう、男を演じようとしていて僕から見ると痛いたしい。

代々木さんは母親を失い、自分が「見る」という世界(作品)の中で母を創りあげようと したのではないか。

イメージとして村西さんは父を探している人、代々木さんは母を探し ている人な気がしてる。だから僕は、村西とおるはAVの父(あまり良い父ではないが)、代々木忠はAVの母だと思っている。

代々木さんの現場の作り方は母的なのかもしれない。偶然性があるとか転がす=コントロールしないとか。概念としての母というか、包み込む様な感じ。

だからまあ、何となく 見ていて、女だってエロくたっていいんだとか男だって受け身位になってもいいという、それまでの固定概念が打ち破られるような経験を、面接軍団をはじめとして女優はもちろん現場で関わった人たちが体験するんだと思う」

二村の言う通り、代々木組に呼ばれ続けた男優は、代々木に見守られてる感覚がいつまでもある。

代々木さんの最後の現場は2020年6月だから、もう少しで2年近く経とうとしているにも関わらずだ。

社会性やエゴを手離すことを求められる代わりに、心まで裸になっ ても大丈夫だと思わせてくれる代々木は、母性を求めるが故に自らが母性の人となったのか。

他の面接軍団も同じように感じているかはわからないが、森林は、代々木の所に呼ばれ 続けたことで、本物のセックスを知っている証明書を発行されたような気になっていると話す。

同時に、これは間違いなく驕りだとも。

代々木はセックスのあるべき姿を1つに決めつけていたわけではない。

事実、その作品の幅広さが、セックスの可能性をどのように考 えているのか物語っている。

代々木から受けた影響が大きければ大きいほど、男優としては幅を狭めているとも言える。

今のAV業界で求められるのは、程よく無機質で、マシーン的に勃起、ピストン、射精をスムーズにこなせる男である。

その男がするセックスに感情もどきは求められても本当の感情は求められない。

なぜなら本当の感情はコントロールが効かず、非効率的だから、 資本主義的AVビジネスとは相性が悪い。

映画やドラマを早送りしながら見たり、あらすじだけを聞いてその作品を知ったことにする人たちが増えていると聞く。

AVを見てオナニーする時にも、出ている人間の感情は掘 り下げられない。

求められるのは、興奮するために必要な直線的な性感の高まりの描写だけである。

オナニーにすら効率性が求められる新自由主義の時代で、代々木忠の作品は存在感が薄くなっていった。

代々木作品を見るにはエネルギーがいる。「で、あなたはどうなの?」 と問いかけられている気がすると感じるからだ。

代々木が生涯をかけて探究し続けたオーガズムとはなんだったのか。

自他の境界線がな くなり、主客未分と感じる瞬間的体験は、なんの意味も価値もないのか。それとも、、、。

 

●ヒトシ推薦! 後世に伝えたい代々木作品

どの作品を見てほしいということよりも、僕は「代々木理念」・「代々木神話」みたい なものは及ばずながら僕も含め、皆さんと一緒にそれぞれのフィールドで伝えていけたらなと思う。

だからこそ、市原さんや森くんには、代々木組としての活動、何か代々木さん の現場を伝える場、今回のようなイベントを不定期的にでも、頑張って続けてほしいと思ってます。

 

●代々木監督へ、ヒトシよりメッセージ

代々木さん、お疲れ様でした。代々木さんにお目にかかれて、お言葉を直接聴けて、本 当に嬉しかった。本当にありがとうございました。

僕は代々木さんの現場を通過、というか経験したことで、手を離す、その場をコントロールしない、ということはまだ出来ていないけれど、代々木さんの歳になるまでには出来る様になると良いなと思っています。

代々木さんのようなカッコいいジジイになれたらな(おそらく無理ですが)と思って死ぬ まで努力しようと思います。

今後、ポルノの世界はヴァーチャルに移行していき、生身の人間がセックスすることの 意味も変わっていくでしょう。

でも、どんな時代になっても、人間が人間である限り「感 情が重要、まぐわいがなければセックスではない」という代々木哲学は必ず生き続けます。