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『第1回「 性愛の探求 」 セミナーを終えて 』

5月に「性愛の探求」 セミナーの第1回目を開催しました。

実際にセミナーに参加いただいた方の中には、 ブログなどで感想を綴ってくれている方もいて嬉しく思っています。

また、上映された映像を文字に起こしサイトに掲載したところ、これも大きな反響をいただき、直接メッセージをいただく機会もとても増えました。

改めて手ごたえを実感し、 やりがいあるプロジェクトだと自負しています。

 

 

第1回目を終えた今 、 僕が思っていること。

今回のセミナーは作品を見てくれた人にどんな影響を与えたのか。

また、出演してくれた女性はどう変わっていったのか。

正直、僕には分かりません。出演してくれた女性からは、何かしらの気づきがあったように「良くなっていきました」 とポジティブなコメントをもらいました。

でも、時間の経った今もその状態が継続しているかは、僕には分からないというのが本当のところです。

少し話は逸れますが、今回の参院選挙は経済や外交といった部分に多くの国民が関心を持っていました。

もちろん生きていく上で、生活や将来に直結するそれらは重要なことではありますが

人として生まれたからには、 生きていく上で「性」も重要なものだと僕は考えています。

経済や外交についての政策を掲げる候補者がほとんどで 、「性」を以って日本を良くしよ う、なんて言う人はいません。

それは当然で、「性」で経済が上向いたり、外交がうまくいくなんていうのは 現実的ではありません。

唯一、性に関して声をあげている候補者の方がいらっしゃいますが、 あくまでも「社会の中での性の在り方を考え直しましょう」というアプローチで、「個人の性に向き合いましょう」と言っているわけではありません。

とは言え 、遠からず同じところにたどり着くとは思っています。

社会の中での性の在り方が変われば、性の重要性や捉え方が変わっていくと思うからです。

 

 

少し前に、ある政党の会合で、同性愛についての冊子が配られたというニュースを目にしました。

冊子の内容は「同性愛は依存症である」など差別的な内容だったそうです。

こういった考えを持つ人は残念ながら一定数います。

ではなぜそういう考えに至るのか。

大きな視点で見れば、社会の中の性の捉え方にそういう節があるからではないでしょうか。

日本には古くから「男色」という文化がありました。

それが明治時代に入り、キリスト教の影響を受けて考え方が欧米化していきます。

また時を同じくして、富国強兵という考えも加わり「国力=軍事力=国民の数」という価値観が生まれ、同性愛では子供が産まれないという理由により、排除したり認めないという動きになったのです。

「性」が私的なものから公的なものになりました。

現代では、同性愛のカップルでも子供を持ち育てることができます。

その事実を知っても、古い考えを手放せない人もいるのです。

そこには、「血」縁にこだわる考え方が影響しているでしょう。

 

 

最近のニュースつながりで、もう一つ引っ掛かっていることがあります。

先日、 性風俗産業に持続化給付金を支給しないのは合憲である、という判決が出ました。

その理由は、国民の道義心(道徳)に照らし合わせ、それに相当ではない性風俗産業に、国民からの税金を支給することは納得してもらえないだろう、というものでした。

道徳とは社会の在り方によって決められていくもので、普遍的かつ絶対的なものではありません。

でも裁判所は道徳という目に見えないものによって、職業を区別しました。

これは捉え方によっては「区別」ではなく「差別」とも言い換えられます。

 

 

長くなりましたが、話を戻します。

僕が話す「性」というのは「本質の心」のことです。

「本質の心を大切にしましょう」とメッセージは、言葉だけを聞けば多くの人は賛同してくれると思います。

でも、これまで述べたように今の社会の中では「性」が蔑ろにされているように感じます。

人間の持っている「性」による結びつき、人と人とを結びつけていく「性」の本質とは何なのだろうか。

生殖だけではない、「性愛」の本質とは何なのだろうか。

僕はそれを考えていきたいのです。

最近、よく耳にする言葉があります。

それは 「女性性の開花」

 

 

女性が生きやすい世の中にしていこうという動きをフェミニズムと呼ぶとしたら、社会や経済にアプローチしていくものと、個人の内側にアプローチしていくもの、2つの方向に分かれていると捉えられます。

この内、個人に向けて女性の生きやすさを発信していく人たちは、「女性性の開花」という言葉を使うことが多いように感じます。

では「女性性の開花」とは何なのでしょうか。

以前、知り合いの女性と話をしていたら「女性性の開花とは豊かなセックスだ」と置き換えらると説明されたことがありました。

僕は、「女性性の開花とは、相手ありきなのか?」と問いました。

すると「認めたくないけどそういうことになると思う。女性性の開花というのは、女性一人で達成できるものではない」と返ってきました。

「女性が自分の性を認めて、女性としての人生を謳歌すれば良いのでは?」と僕は更に問いました。

その答えは「その先には必ず、異性愛であろうが同性愛であろうが、パートナーという存在が大きな課題や目標として現れてくる。

女性性の開花を実感し女性であることを謳歌している人には必ず素敵なパ ートナーがいて、充実したセックスをしている。

それは挿入に限定しない広義でのセックス。

 

 

女性性が開花したから充実したセックスを手に入れられたのか、素敵なパートナーが現れたから女性性が開花したのか、どちらが先かは分からないけれど

多くの場合は女性性の開花と豊かなセックスはセットになっているんじゃないか」という説明でした。

「それって結局、男が必要ってことじゃないか」と思い、男性の存在意義に過大な価値を見いだすかもしれません。

それは早合点だと思います。

女性から発せられたこの言葉に、女性全てが納得するわけではないでしょうが、身近にいる女性たちを思い浮かべると説得力を感じました。

そして、「女性性の開花」に男の関わる余地があるという安心感を抱きました。

 

 

うぬぼれではなく安堵です。

女性が女性であることを一番強く実感するには、そばに異性である男性がいる方が、対比があるが故に女性性を意識できると思います。

男女という言葉は、それが相対的に存在していることが前提だから、独陸して存在することができないという宿命にあります。

世の中に女性しかいなかったら、女性は女性とは言われないわけです。

男性がいるから女性という言葉が存在します。

女性が女性であることを実感するためには、 女性ではない男性が存在しなければならないという宿命です。

異性愛だけではなく同性愛の観点を含めても、そもそも男女問わず性別とは絶対的なもののようで、 相対的に存在するものです。

これは、男女という性別に関することだけではなく、自分と他者の存在、 自他の境界線を考えた時にも当てはまります。

相手がいることで自分の輪郭がはっきりして、自分で自分を捉えられるようになるのです。

 

 

豊かなセックスが人生を充実させる。

それは誰かに受け入れられている、受け止めらている、ありのままのあなたでいいよと言われている実感、事実。

その人の真実。あなたがあなたでいるためには、あなたではない他者の存在が必要で、 それを互いにバランスよく認め受け入れ会えた時、あなたはありのままの自分を強く実感します。

そして、 ありのままのあなたの真ん中には「性」がある 。

この「性愛の探求」 プロジェクトでセックスをする意味は、他者が存在することで自分を感じることができるからです。

一人で自分と向き合っていても見えなかったものが、 他者と向き合うことで浮かび上がってくることがあります。

是非とも、2回目も多くの人に見てもらいたいです。

僕と一緒に、あなたの「本質の心」を見つけにいきませんか。

皆さんからの参加申し込み、 お待ちしてます。

 

文 責:森林 原人

編 集:フシダナナコ

 

◆『性愛の探求』セミナー②の紹介ページ
https://moribayashigenjin.jp/archives/13205

 

◆お申し込みページ
https://ws.formzu.net/sfgen/S248315097/