『公式ホームページ』森林原人

AV男優が、一般女性とともに探求する“セックスの本質”とは? 〜 第一回『性愛の探求セミナー』レポート(前編) 〜

著:環子(ワコ)

ライター歴15年。「性愛のつながり」を探求したくて、ときどき性にまつわる取材記事を書いています。

今後は「歳を重ねるほど豊かになるセックス」を考えていきたい。

最近興味があるのは、女性用風俗とネコ。Twitter:@wako_log

 


 

 

5月、AV男優の森林原人が、年明けからずっと準備に取り組んでいた『性愛の探求セミナー』をスタートさせた。

その目的は、自身の20年以上の男優経験、とりわけ現役時代からAV界のレジェンドとしてたたえられ、2021年の夏に惜しまれつつ引退した代々木忠監督から教わったセックスの奥深さやかけがえのない魅力を、森林なりのやり方で、より深く探求していくことだ。

 

森林は近年、こんな疑問を抱くようになったという。

 

「AVのセックスは当然のように“演技”と言われるけれど、実は世の中にある普通のセックスも、恋人や夫婦、性別といった“役割”の中で演じている部分が、少なからずあるのではないか。本能と感情を解放し、心から満たされる“本物のセックス”を経験している人は、果たしてどのくらいいるのだろう?」

本セミナーは、このためだけに撮影された実験的なセックスのドキュメンタリー映像を皆で視聴しながら、テーマに沿って講演を行うというもの。1回ごとの参加人数を少なめに限定しているため、深く切り込んだ質疑応答が生まれやすいのも魅力のひとつだ。

 

さらに、同セミナーの最も大きな特徴は、核となる映像の出演者がAV女優ではない点。メルマガ上で出演を募った一般女性のリアルなセックスを、ありのままビデオに収めている。

 

慣れ親しんだAV業界の舞台から降り、これまで以上に本物のセックスに迫ろうとする試みは、森林にとってもひとつの挑戦だったに違いない。しかし、セックス観や性との距離感もさまざまな一般女性のセックスに向き合うことは、彼が追い求めている“セックスの本質”の輪郭をいっそう鮮やかに浮かび上がらせてくれるだろう。

 

第1回目となった今回のセミナーは、5/7(土)、8(日)、14日(土)、15日(日)と2週4回に渡って開催された。映像を一般公開できない性質上、大々的に情報開示しにくいのが残念だが、参加者たちの満足度が非常に高かったことは、開催後にいくつも投稿されたツイートやnote、感想文からもヒシヒシと伝わってくる。本稿では、5月の全8回のうち、5/8と14の夜の部をもとに講演内容をレポート。また、上映された『さみしさの秘密』『いたみのセックス』の2本については、それぞれ、かなり詳細に文章化した。

 

本セミナーでしか見られない注目すべきその内容を、前・中・後編に分けてご紹介。前編となる今回は、『性愛の探求プロジェクト』の目的と、最近、森林がたどり着いたという、ある“性の仮説”についてお届けする。

 

プロジェクト誕生のきっかけは、代々木忠監督の引退だった

 

「僕が男優として最も影響を受けたのは、24歳から約17年間お世話になった代々木忠監督です。昨年は代々木さんが引退されて、とにかく喪失感が大きかった。しばらくは、灯台のあかりを失ったような心細さや寂しさを感じていました」

 

5月8日、森林がセミナーの冒頭で語ったのは、本プロジェクト誕生のきっかけだ。それは、他でもない、人生の師と仰ぐ代々木忠監督の引退。代々木に対する森林の思いは並々ならぬものがあり、今年1月には引退セレモニーを率先して主催。また、21.3万人の登録者数を有する自身のYouTubeチャンネルでは、『森林原人のセックス観は、代々木忠監督の教えで出来ています』というテーマの回を設け、代々木の魅力を延々と語るほどだった。

 

「代々木監督は、アダルトビデオを作った人と言われています。もとはピンク映画の監督でしたが、ピンク映画はあくまでも、女優が性的描写やセックスシーンを演技するもの。だけど代々木さんは、もっと“本物のオーガズム”を見てみたいと考えた。その好奇心、フランクに言えばスケベ心ですが(笑)、それが、代々木さんがAVを制作した始まりだったのです」

 

代々木の半生を綴った『代々木忠 虚実皮膜 AVドキュメンタリーの映像世界』(東良美季著)によると、代々木はピンク映画の監督時代、女優たちから「監督、女って本当はああじゃないのよねぇ」と言われることがあったそう。代々木は「果たして、自分の撮っているものはワイセツだろうか?」と何度も自問自答した。その結果、「ワイセツとは少なくとも作りものではない。映画的脚色も要らなければ、女優の演技も必要としないものであるはずだ」という結論に至ったのだそう。そこで代々木は、今後は自分自身がいちばん覗いてみたいものを撮ろうと考えた。しかし、それは当時まだ霧の向こうに隠されていた、女性のオーガズム。代々木は、“自分でもわからないもの”にカメラを向け始めた。こうして「ドキュメントポルノ」という独自の手法を獲得していったのだ。

 

「代々木さんが最初に撮ったのは、1982年にリリースされた『ザ・オナニー』。女性がオナニーをするだけの内容でしたが、当時としてはあり得ないほど衝撃的だったそうです。約40年前、男たちは、女性には性欲なんてないと思っていたし、ましてやオナニーをする女性なんているわけがないと考えていたから。しかし、そんな固定観念を覆し、世の男性たちをあっと驚かせたこの作品は爆発的に売れ、1本撮ると3,000〜4,000万円ほどの売り上げになったとか。現在のAV作品は、大体1本100万円も売れればいい方ですから、社会への影響力も段違いだったと思います。

 

代々木さんはその後も、AVという舞台で、“答え”を用意することなく、自分の見たいものを追求しました。しかし、AVが一大ビジネスとなった現在の業界で主流となっているのは、マーケティング重視の“売れるもの”を作るスタイル。“答え”ありきの撮影という意味では、AV作品の大半も、演出であり、演技であるといえるでしょう」

 

森林は、性的興奮を促すAVの主要な役割を肯定しつつも、代々木のような作り手がいなくなることで、AVによる表現の可能性が狭まってしまうことを危惧しているという。

 

「実際のセックスを撮影して世の中に発信できるのは、AVというジャンルだけ。僕は、AVという表現方法だからこそできるリアルなセックスを描く手法を、これからも残していきたいのです」

「虚実皮膜」。虚構と現実のはざまにあるものとは

代々木は、AV監督として代表作である『ザ・面接』シリーズを撮り始めた当初、女優のキャスティングにあるこだわりを持っていたという。それは、同作がデビューとなる女優を選ぶこと。つまり、事務所には所属しているが、AV撮影が未経験の女優だ。その場合、果たして彼女たちは、女優なのか、素人なのか、どちらがより真実に近いだろうか?

 

森林は、そんなキャスティングの裏話を例にあげ、代々木を語る上で重要なキーワードとなる「虚実皮膜」について話し始めた。

 

「『虚実皮膜』とは、虚構と現実の世界は薄皮一枚の差でしかないよ、ということです。代々木さんのAVにおいても、カメラがある時点で、それは大前提として虚構の世界。けれど、そこに出演しているのは“女優”という肩書きのひとりの女性です。彼女が行うセックスは、作り物か本物か、それは観ている側にはわからないですよね。

 

一方で、一般の方たちは、普通、カメラのない場所でセックスをしますが、すべてが本物と言えるでしょうか? 特に女性は、イったフリをしたり、痛いのに我慢をしたり、演技することも少なくないのでは。そう考えれば、必ずしも、AVのセックスと一般の方のセックスが別物とは言えなくなります。もちろん、同じものではありませんが、その差は“薄皮一枚”なのかも。その“虚構と現実のはざま”を撮ろうとしてきたのが、代々木さんなのです」

 

代々木作品がそれ以外の多くのAVと異なるのは、「“答え”が用意されていないこと」と、森林は念を押す。

 

「大多数のAVには、最初から“女優がオーガズムを迎える”という“答え”がある。ゆえにそれが視聴者にわかるように、女優に『イク』と言わせますが、対して、代々木さんの場合は、“虚構の舞台”だけを設定して、リアルなセックスが起こるのを待つのです。稀にセックスが起こらないケースもありますが、それはそれで構わない。『なぜその気にならなかったのか?』その理由にも、注目に値するリアルさが含まれているのです。

 

たとえば、格闘技だって土俵やリングがあり、本物のケンカではない。スポーツもルールという枠があるし、オリンピックは国家間で争うけど戦争ではないわけです。どれも虚構と言えば虚構ですが、本気で戦うことで観ている方も燃えるんですよね」

 

今回の撮影にあたり、森林は、AV女優ではなく、自身のメルマガ上で一般女性の出演者を募集した。それには、最近のAV業界における女優との契約の厳しさ(性行為の内容や回数、タイミング等を予め詳細に定め、女優が了承した上で撮影する必要がある)の問題もあったが、一般の女性を撮ることで、よりリアルなセックスに迫ることができたことは言うまでもないだろう。

 

森林原人が考える、“性”に関するひとつの仮説

 

森林は男優を始めて10年ほど経った頃から、「結局、“性”とは何を指すのだろう?」と考えるようになった。のちに性教育の普及にも力を入れ始めると「性教育の“性”とは?」とますます疑問は深まっていったそう。

しかし最近、自分なりに疑問を突き詰め、ようやくある仮説を立てることができた。それは、本プロジェクト立ち上げのもうひとつの目的にもつながっているという。

 

「僕は、リアルな性描写やセックスを撮ることで『“性”とは何か?』を考えていきたい。いまのところ、たどり着いた仮説は『“性”とは、本質の心』だということ。“本質の心”とは、その人にとって生涯不変の心のことで、反対に“本質でない心”は変化する心の部分。変化というのは、嬉しかったり、寂しかったり、楽しかったりと移り変わる感情のことですね。

僕のイメージでは、心は玉ねぎのような形をしています。層になった1枚1枚は変化する心の方で、それを1枚ずつ剥がしていくと、自分の核となる“本質の心”が現れるのです」

 

なかなか言葉では理解しにくいかもしれないが、「同性愛者の心を考えると、わかりやすいかもしれない」と森林は続ける。

 

「たとえば、男性の身体で生まれた人は、多くの場合、恋愛をする対象は女性だと思い込む。でもこれは、周囲に異性愛者が多い環境で育つ確率が圧倒的に高いから、成長段階で『お前も女が好きだよな?』とすり込まれていくのです。本人も時々は『僕が好きなのは男の人かも』と感じたりするけど、心は変化するから『いまは男性が好きなだけで、そのうち女性を好きになるだろう』と流してしまう。だけどやっぱり、何かのきっかけで“思い込み=心の上層部”を全部剥がしてみると、最終的には、自分は男性が好きなんだと気づくのです。

 

ジェンダー教育では、『“性”は自己決定していい』とされていますが、より正確に言うならば『自分の“性”に気づいていってね』ということでしょう。“性”は潜在意識レベルの深い場所にあるから、自分でも掴みにくい。でもあるとき、どうしても変えられないと気づく部分が“性”。同性愛者はありのままの“性”を認められると、やっと自分らしく生きられると感じると言います。反対に、それはおかしいなどと傷つけられると、深く傷つきトラウマになってしまうことも。“性”は自分の核にあるからこそ、影響力が大きいのです」

 

では一体、“性”に傷ついたときはどう向き合えばいいのか? また、特に傷ついていない場合でも、自分の「“性”=本質の心」に気づけていない人は、どうすれば気づくことができるのだろうか? 森林は、それを解き明かすカギはセックスにあると感じている。

 

「本来、信頼できる相手に身も心も委ねてするセックスは素晴らしい体験です。でも、もしもいまそう感じられていないとしたら、そこには何かしら“性”の問題が根差しているのではないでしょうか。だからこそ、実際に“性”に悩みを抱える女性たちのセックスを撮ることで、体験的に考えていきたいのです」

 

“答え”を設定することなくAV制作をすることは、普通に考えれば、不安要素も少なくないだろう。しかし森林は、これまで代々木作品で経験してきた、“答え”の用意されない数々の撮影のなかで、実際に女性たちの問題が炙り出され、ときに解消されていく奇跡のような現象を幾度となく目の当たりにしてきた。

「本気でセックスをすると、何かが起きる」そんな信念を胸に、かなり力を入れて撮影に臨んだという今回の2本。結論から言うと、やはりその“何か”は起こった。映像の詳細な内容と解説は、引き続き、中・後編のレポートでご紹介していきたい。

 

中編に続く…