1月29日に開催するオンライントークイベント「代々木忠監督からのラストメッセージ~性の深淵をのぞいたら人生が変わった~」の運営を任されてから、改めて代々木さんのことばかりを考えている。代々木さんはなぜ、半世紀以上も性を探求し続けたのか。その根底には何があったのか。探求し続けた末に何が見えたのか。
僕は性によって道を踏み外したと思われている。学歴社会におけるトップグループに属しながらも性の持つ快楽性に溺れた結果、有望な将来をダメにしてしまったと言われることが多々ある。その堕落ぶりを、エンターテインメントの一つとして消費されている節がある。そういった視点でインタビューを何度もされてきた。
もう慣れっこで、そこで傷ついたり不快を感じたりもしない。相手が求める答えを予想し、それに沿って話を進めることもたやすくなった。でも胸の奥底には、学歴社会で結果を残すことは出来なかったけど、世間が良しとする道から外れたおかげで人間の本質的なところが見えたんだと自慢している自分がいる。
性は人間の本質に関わることだと確信している。“性”とは本質の心であると解釈する仏教の宗派があり、僕にはそれが一番しっくり来ている。煩悩を一枚一枚はがしていくと本質の心が現れ、それが“性”であるというのだ。
多くの人は、育っていく中で好きになる対象を押し付けられてきているが気が付かないでいる。自分の好みだと思っているタイプも、実は周囲に刷り込まれた価値観の可能性が高い。それは本質的な価値観ではなく、それから解放されると本質の心のままに好きな相手がわかってくる。同性愛者が思春期になり、自分の好きになる対象が普通ではないと自覚して困惑することがあるが、それは本質の心に気が付く第一歩なのである。
異性愛者の人も似たようなもので、自分がいる社会の中で良しとされる対象を好きになり選んでいるが、それはその人の本質の心で好きになったわけではないから心がまっすぐに喜ばない。「人を好きになる気持ちがわからない」と相談されることが頻繁にあるが、相談者たちは、自身の“性”を見つけられていないのだと思う。だが、身体があれば必ず“性”があり、時間はかかってもそこに辿り着けるものである。これは僕の解釈だが、心は身体と共にある。本質の心である性は身体と一対で、心の喜びと身体の喜びが同時に起きた時を“性の解放”と呼ぶのではないかと。あるがままの心で身体も自由で素直な時、人はこの上なく“気持ちいい”のだ。代々木さんはこれを「淫乱の窓を開けると光が射すよ」という。
自身の“性”と向き合うことは、社会や世間の価値観ではなく、自分の中に軸を見つけ、基準にしていける生き方になっていくことである。それはきっと、気持ちいい生き方だろう。
人に関する本質的なことを教えてくれたのは代々木さんでした。胸の奥底で自慢げにしている自分の拠り所は代々木さんです。代々木さんと出会えたおかげで、随分と生きやすくなりました。代々木さんは性を探求し続けて、僕たちに気持ちいい生き方を教えてくれました。
日比野達郎さんも代々木さんから生き方を教わったようです。まだAV男優という言葉が生まれる前から男優の仕事をしていた日比野さんは、実質的に日本の男優一号です。日本のAVを作った代々木さんと、男優一号の日比野さんはどのように交わっていったのでしょうか。そして2人は、性の深淵に何を見たのでしょうか。
日比野さんへのインタビューはライターの河合桃子さんと共にしました。河合さんがベースを書き、それに僕が加筆したものが今回の記事です。1月29日のイベントには日比野さんは出演しませんので、是非ともこの続きをお読みください。
◆日比野達郎◆
通称/日比ヤン、日比野さん
●初めて男優の仕事を肯定してもらった。これは仕事だと実感できた
高校を卒業後、上京し専門学校に入学するも中退。その後、当時「ビニ本」と呼ばれたアダルト雑誌の制作に関わるようになる。カメラの前で性器を出し、セックスすることを専門とする男性はまだ存在しておらず、スタッフがその役割を担っていた。日比野はその任を全うできる貴重な存在で、自然とそういった仕事が増えていき、いつの間にかそれを専門とするようになっていた。AV男優という言葉が出来る前にすでに男優だったのだ。
20代前半で男優として活動を始めた日比野が代々木の現場に呼ばれるようになったのは30代前半頃で、男優としてのキャリアは10年に及んでいた。
日比野は代々木に出会うまで男優の仕事に後ろめたさを感じていたという。
「専門学校を中退後はスナックでバイトしてたんです。その後、出版社に入ったけど辞めてビニ本作りに関わるようになって…AVの撮影現場にもスタッフとして駆り出されるようになった。まだAVの歴史も浅く、AV男優という職業が確立していない時代だった。
若かったから『お前出ろ!』ってことになって出るようになったんですが、今とはまったく違うヤクザな現場でした。スタジオは乱雑としてるし、撮影時間はものすごーく伸びたり。女優も撮影当日に飛んで撮れなくなって、代わりの女の子を急きょ呼んでなんてことはザラだったし。
毎日忙しく裏方したり男優やったりしてたけど、こんな暮らしはいつまでも続かないという将来への不安があった。少なくとも『まともな仕事じゃない』と思ってた。それになによりも、一応お金はもらっているから仕事と言えるんだろうけど、仕事って言っていいのかわからないような後ろめたい世界だった」
80年代初頭に家庭用ビデオデッキが普及した。そこに大きく関わっていたのがAVであり代々木だ。当時、VHSとベータの二規格が発売されていて、どっちが市場を取るか競い合っていた。VHS陣営は、デッキを買うと代々木が撮ったAVを付けるという作戦に出た。これが大当たりし一気に市場を獲得した。
世間の流れを大きく左右するほどの存在になっていながらも、AVに対するイメージは後ろめたく罪深いものだった。当然、そこで働く者達もそういった世間からの白い眼は感じていた。日比野も同じで漠然とした不安を抱えていた。代々木の現場に呼ばれたのはそんな時だった。
「それまでの現場では、『女性の体をカメラに見せないといけない』のが大前提だったから、正常位の時だって体に被さっちゃいけないのは当たり前だったし、セックスを流れるように組み立ていく必要があった。女優のわかりやすいパフォーマンスが求められた。俺もそれが当たり前だと思ってなんの疑問も持たずにやってきた。
だけど代々木さんは『そんなの関係ない。お前は普通にセックスすればいい。それを見たいんだ』と言ってくれて、初めて普通のセックスをさせてくれたんです」
10年かけて作り上げた男優としてのスタイルを手放すことになり戸惑った日比野。だが、『普通にセックスすればいい』っていうのはどういうことだろうと熟考し答えを出した。
「まず普通にセックスするには、女優さんから嫌われないことが大前提なんです。会った人とすぐにしていくのって、世間が思っているほど簡単じゃない。俺は女にモテる顔しているわけではないし、セックスに自信もない。だから初めにしていくことは相手に合わせていくこと」
男優と女優はセックスすることを前提に対面する。だからいわゆる口説くという過程がない。それは、“する”という意思はあっても感情がないということだ。AVにおけるセックスは契約された行為だが、本来のセックスは欲情の先にあることで感情の行為だ。『普通にセックスする』ヒントはここにあった。
「女優は監督と話している。当然、目と気持ちは監督に向くわけだけど、それをどうやって自分に向けさせるか。それは、関係性を築くことなんだって思った。それまで10年近く男優の仕事をしてきて初めて、自分の頭で考えて女優と関わり、自分なりの仕事の仕方を見出す力を求められたわけです。この感覚はそれこそ初めてで、これは仕事なんだって実感できるようになった。この仕事の面白さを教えてもらい、男優という仕事を肯定してもらった」
森林は大学在学中にAV男優の仕事を始めた。大学では心理学科に在籍していた。日比野に初めて会った時はまだ大学に籍を置いていて、戻る道も残っていた。そういった事情を話すと「心理学を学ぶのにこんなに向いてる現場はないよ。AVは面白いぞ」とニコニコしながら話してくれたことが印象深かったという。
日比野の言うところの“男優業の面白さ”に段階があると分かるには、やはり代々木との出会いが必要だった。代々木以外の現場では、感情より意思でつながることを求められる。代々木組だけが、純粋に感情でつながることを求められ、許されているんだという。
「やっぱり、自分の中でそれまでの撮影現場で関わってきた作品の多くは、ある意味ではセックスの組体操的な感じだったし、そこに本質的なものはないという疑念があった。セックスは組み立てていく作業じゃないんだよ。挿れて出すこと、挿れられてイッたふりなんて出来るんだよ。セックスで女の子が感じるのは挿入感だけではない、行為だけではない。体位にしても、射精にしても、感情あってのことのはず。気持ちがなければただのショー。口か性器しか結合できないんだから、その時にどんな気持ちを持てるか」
女優はその名の通り女優で、演じることが前提とされる。それは一般女性でも同じではないかと思う。彼や夫を相手に感じているフリをしたことがある女性は多いだろう。でもそれに気づく男性は少なく、フリをし続ける女性はセックスで感情を出すことができない。当然の結果として、心でつながっていくことは難しい。
「好意は行為に、声に、顔に出てくる。本気で感じている瞬間がいやらしいんだよ。だから相手と関係性を作り、本気で感じさせることだけに集中していく。そういった意味で、一番楽なのは何回も同じ人とすること。関係性が出来ていくから仕事もセックスも良くなっていく」
感情でつながる関係性をつくっていくということに、セックスレスの一因である“飽きる”ことへの解決のヒントがあると思いながら聞いていた。
日比野は代々木と出会い、男優のあり方、セックスの本質を教わり、仕事に対する後ろめたさや不安から解放された。
「自分が心から納得のいく仕事に関われていなかったから、後ろめたさがあったし、何か違うという違和感があったんだと思う。でも代々木さんが、この仕事をやっていってもいいんだという思いを自分自身に持たせてくれた」
森林も男優業に、AV業界に、漠然とした後ろめたさを感じていたという。それは親の期待を裏切ったという自覚と共にずっとのしかかっていた。それが無くなっていくのに代々木さんとの出会いは大きい。AVは消費されるだけの娯楽商品だと思われているが、代々木作品は鑑賞に値し深く感動を残す作品だ。そこに自分は関われているんだという自負が、仕事に対する自信となり、生き方を方向付けていったという。
●オーガズムとは男と女の気持ちが一つになった時に起こる
代々木がオーガズムを探求し、定義していくまでの過程で作られた作品の多くに日比野が関わっている。オーガズムを体験する女性を目の当たりにしてきた日比野はどう思っているのか聞いてみた。
「宇宙とつながるって言われても、その感覚は俺にはわからない。でも女がイクと嬉しい。男と女ではイクが違う。男は肉体的刺激でイク。それよりも深いイクは体を合わせて、気持ちが一つになったときに起こる。それはセックスでしかないんじゃないかな」
感情でつながることを意識した日比野は女優から指名されることも多かったと聞く。代々木以外の監督の現場では、女優の体が見えなくなるからご法度である被りつき正常位も日比野だけが特別に許されていたように思う。体が見えなくても、女優が本気で感じているのが伝わるからだというが、そう思えない監督や視聴者も一定数いる。
「“感じる”がわからない人もいるよね。その人達は感性や想像力が乏しいのではなく、経験が足りないんだと思う。最近のAVを見ていて思うのは(日比野は現役の男優であると同時にモザイク入れの会社を経営しており、AV作品の多くを見続けている)、女優が一番上手で一番プロだなと。男優もカメラマンもついていけてない。女優にセックスじゃなくパフォーマンスをさせちゃっている」
確かに、最近の女優さんはプロ意識が高く、見せることに長けている。男優からしても監督からしても楽だろう。見る人からしても外れがなく、どんな物を見ても一定水準はクリアしている。でもそこにいるのは人なのだろうか。
「現場では、自分には顔がないと思っている。俺でなくてもいいんだって。だけども、日比野さんじゃなくてもいいけど、今は、今目の前にいる日比野さんがいいってなれれば、なんとなく恋愛感情のようなものが成立していく。そうすれば現場とはいえお互いに気持ちよくなる。」
●次々と浄化されていった女優達。代々木の現場は“治療”のようなものだった
代々木の現場では女優のトラウマが解消されたり、自分を肯定するきっかけとなったりして、撮影後の女優の顔は憑き物が取れたかのように清々しい顔になっていくことが多々あったという。
「今から20、30年も前は、女性が気持ちいいというのを表に出せない、そういう感情を出すのは恥ずかしいという人が多かった。代々木さんの現場ではその『感じてはいけない』という思い込みをなくす作業をしていた。
たとえば過去にレイプされた経験を持つ女優がいて、その女優はレイプされた当時、自分にだけわかる『感じてしまっていたような感覚』があったこと、『乱暴されながらも濡れてしまっていた』こと、それに対する罪悪感を感じていた。
でも濡れるという現象はあくまで肉体的に受け入れるための準備体制のような、条件反射ともいえる現象であって、決して無理やりされた暴力行為を受け入れたわけじゃないんだということを、撮影現場で身をもって感じて恐怖や嫌悪の記憶を肯定に変えるという試みをすることになった。
俺がレイプ犯かのような状況を再現し、本人が心の傷を負うことになった出来事を追体験することで忌まわしい過去から解放させるという、それはとても危険な試みとも言える。
俺もとても緊張感を持って挑んだ撮影でしたよ。でもその撮影の後、確かにその女優は憑き物が取れたかのような清々しい顔になったんだ。
なかには好きでソープで働いているのに罪悪感を抱えていた女優もいた。その罪悪感を撮影を通してなくしていった。まさに代々木さんの現場で治療を行ったような感じだった。こういったトラウマには薬はなく、癒ししかない、そう目の当たりにした出来事でした」
日比野はこれらの撮影の経験から「人は起きてしまった事実を受け入れ、癒しによって消化していくしかない」という事実に気づいたという。そしてその「受け入れ癒やす」ことは「愛」に他ならないということにも気づかさたという。
●日々ヤン推薦! 後世に伝えたい代々木作品
『いんらんパフォーマンス』シリーズって50本くらいあると思うんですけど、その中のどのタイトルか忘れたけど太賀麻郎と速水健二が出てて、ひとりの女性を取り合う話のは面白かったな。
男の独占欲を表現した作品だった。出演してる男優も女優もみんな台本通りにやってるわけじゃなくて素なんだよ。みんなが感情剥き出しの素の人間ドラマになってて、男優たちが真剣に取り合えば取り合うほど女の子は冷めていって、最後には「どっちでもいいじゃん、気持ちよければ」って言うのが面白いんだよね。
「恋愛は一対一の関係だから、独占欲がある。自分以外とのセックスは許せなくなるもの。そんな独占欲が心地いい時も、うざいときもあって、どちらも正しい。どちらかを否定しちゃ人は生きられない」
こういった矛盾は多くの人を悩ませる。どちらか一方を正解としたがり、反対の考えや行動を全否定するように攻撃する。それは自分の中にある矛盾に、割り切れない感情や欲望と向き合うのが怖くて見る先を逸らしているだけではないだろうか。
「生活のために浮気を許さないってことは一般的で、AVはその逆が起きている。生活のために他の人とセックスをする。もしくは生きていくためのセックスする場を他に探す。それはモラル的には許されないこと。それでもするのは、なにか自分を肯定していくことが必要だったからで、それを否定しちゃいけない」
●代々木監督へ、日々ヤンよりメッセージ
セックスというものを知らなかった自分に、代々木さんは深いセックスを教えてくれた。それは俺が頭で考えて得たものなのか、ハートで感じて得たものなのか、どう表現していいかわからないが、響かせてくれた人でした。
今は一回一回のセックスを大事にするようになりましたね。80歳すぎてあれだけ元気なのは凄いです。というか、今、俺が65歳で、代々木さんの作品で撮ってもらってた時と同年代だって考えると、代々木さん、元気だったなあと思うよ。今、俺あんな元気ないです(笑)。
代々木さんに言わなきゃいけないことあったんだけど忘れちゃった(笑)。
きっと代々木さんのことだから、監督は引退と言ったって、頭の中で色々と考えているんだと思います。できないことも出てくるでしょうからぼちぼちやって下さい、と言いたいです。