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代々木忠監督から教わったこと~吉村卓編~

代々木作品に出演した男優たちにインタビューをしていくと、代々木さんの考えや思いがより捉えやすくなるかと思い、このプロジェクトに取り組んでいます。これを思いついたのは、代々木さんの考えていることが一番わかるのは待ち時間だと皆が口を揃えて言っていたからです。
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撮影/髙橋定敬

代々木組の撮影では、現場の準備が出来るまでの待機時間を代々木さんと男優は同じ控え室で過ごします。この時に、前回の撮影から今日までにあった出来事や、前回撮影したものを編集したときに思ったことなどが代々木さんの口から語られます。今読んでいる本のこと、世間を騒がしている事件のこと、お孫さんのことなど話題は多岐に渡りました。

20代半ばに付き合っていた彼女のことを相談した時のことは今でもはっきりと覚えています。

「感情の起伏がすごく激しくて疲れるんですよね。いい時はいいんですけど、ヤキモチとかでおかしくなった時は怖さを通り越してうんざりするぐらいで。でも、一緒にいればいつか変わってくれるかなと思っているんですけど、どうですかね?」

愚痴るようにつぶやく僕をじっと見て、

「森くん、先のこと考えているようじゃだめだよ。今、彼女のことを好きかどうかが大切で、今好きなら明日もその先もあるけど、今がないのにその先なんてないよ」

と代々木さんは教えてくれました。

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撮影/髙橋定敬

確かにそれまでの僕は先を見据えて、将来のビジョンを描きながらお付き合いをしていました。だから、その未来に当てはめようと相手を自分の都合の良いように変えていこうとしていたのでした。しかもたちが悪いことに、変えてあげることで相手が幸せになれると本気で思っていました。女性がシンデレラ願望を持つのと同じように、白馬の王子様願望が僕にはあり、付き合っている相手を無意識に見下し、救ってあげなきゃと思っていたのです。人としての浅ましさを、気持ち悪さを、代々木さんの言葉で気がつかされたのです。

僕以外の男優達も、控え室の雑談時に、代々木さんに報告のていで相談することが多々ありました。面接軍団一面白い吉村卓さんは普段ニコニコしていることが多いのですが、真面目な顔して代々木さんに相談しているところを幾度も見ました。そういった時に、卓さんが代々木さんを心から慕い、尊敬しているんだというのがよくわかりました。

卓さんが代々木さんと出会い、惹かれ、慕っていくようになった経緯を聞くことで、代々木さんの内面を捉えることが出来るのではないかと思います。

代々木さんは昨年8月で引退され、新作が世に出ることはありません。代々木さん本人もやりきったとおっしゃっていますが、代々木さんからはまだまだもっと学べることがあるんじゃないかと思っています。もちろん作品を見直せばそのたびに新しい気づきがあるでしょう。でもそれ以外に、待ち時間の雑談で多くの話を聞いていた男優たちからも代々木さんの考えを聞きたいのです。きっと、いや間違いなく、性愛の本質やそのヒントが散りばめられているだろうと思います。それを、僕だけのものにするのではなく、多くの人にも届けたいと思っています。

1月29日開催のオンライントークイベント「代々木忠監督からのラストメッセージ~性の深淵をのぞいたら人生変わった~」では、代々木さん本人の言葉で話が聞けます。おそらく最後の機会になりますので、是非ともご覧になって目に焼き付けてください。

この先の文章は、インタビューを一緒にしたライターの河合桃子さんがベースを書き、僕が加筆したものです。イベントに先立って読んどいてもらうと、当日に聞く話の理解がより深くなると思います。

 

◆吉村卓◆
面接軍団の通称/卓ちゃん、卓さん

●加藤鷹の弟子入りから始まった男優活動。代々木との出会いはまさに“衝撃”だった

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 大学在学中から役者を目指していたが、卒業後は人からの誘いでAV制作会社に入社する。高校時代は生徒会長をやるなどリーダーシップを発揮し、卒業時には制服のボタンが全部なくなるほどのモテっぷりだったという。しかし実際の行為の経験は乏しく、AV業界に入ってから行ったソープランドが初めての性体験。その時のソープ嬢に性器の包皮を剥かれ、真正包茎から仮性包茎になった逸話は有名だ。

 制作会社では、撮影の準備や編集作業以外に男優業もやらされたという。初めての出演はフェラのシーンで、「スタートから16秒でイッてしまい監督からすごい怒られたが、気持ちよかったからいいの」と回顧している。ちなみにゴムが着いた状態での出来事だった。このエピソードからわかるように吉村はいわゆる早漏で、代々木作品でもその体質をいかんなく発揮している。さんざん焦らし盛り上げ、いざ繋がったのにあっという間にイッてしまうという人間臭さは代々木作品の醍醐味のひとつだ。とくに「ザ・面接!」シリーズでは、吉村の存在が作品のエンターテイメント性を高めている。

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 歯を食いしばって我慢し、女性をイカせるまで頑張らなきゃいけないというというのは男性にかけられた呪いだ。代々木作品における吉村の早撃ちを通して、その呪いから解放される男性は少なからずいるだろう。「あ、これでいいんだ」と。
吉村本人もその一人で、肩透かしをくらった物足りなさから二度目をねだる女優に対し謝るわけもなく「もっと自分を大切にしなきゃダメだよ」と制する開き直りを見せている。

 吉村の立ち振る舞いに代表される完璧じゃない男性像は、代々木が男優に求めるものだ。世にAV男優の存在を広めた加藤鷹も、代々木組では完璧じゃない男の一人で滑稽な姿を映像に収められている。(アテナ映像「いんらんパフォーマンス 性豪」)その現場でのことを何度も振り返り、「あの情けなさがいいんだよ」と代々木は話す。完璧じゃないから情けない。だがそれゆえに愛される。

 そもそもセックスは丸裸になって性器を結合させる行為で、動物的で滑稽だ。そんなことをしている最中までカッコつけたりぶりっ子したりしても仕方なくないだろうか。それよりどうせなら、みっともなさも含め全部さらけ出した方がよくないか。相手がそうしてくれたら、自分に対して無防備になってくれたら嬉しくないか、愛おしくないか。赤ちゃんが可愛いのはその無防備さにあって、それはセックスしている時の女に、男に当てはまるのではないかと、代々木作品を観ていると思わずにはいられない。

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 代々木組でエース級の活躍をしていた加藤鷹に声をかけられ、制作側から出る側にまわる決意をした吉村。給料がもらえる安定した生活を手放すことになり、喰えるようになるまで加藤の家に住ませてもらい付き人をして過ごす。期間としては半年ほどでそれほど長くないが、そこでみっちりと男優のイロハを教わったという。 加藤と共に現場を回るうちに人脈を広げ、その親しみやすい風貌とキャラクターは業界中にあっという間に知られるようになる。大ベテランとなった今では、女優だけではなくユーザーの男性たちにも多くのファンがいる。

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「もともと師匠の鷹さんからは『代々木さんの“チャネリングFUCK 悪霊と精霊たち”はすごいから見た方がいい』って言われて、鷹さんの自宅で一緒に観させていただいたんです。序盤から『心臓に障害のある方・妊娠中の方および妊娠していると思われる方・高齢者および虚弱な方はご覧にならないで下さい』って警告文から始まり、AV史上、後にも先にもこんな不穏な始まりの作品はないってくらい初っ端から引き込まれましたね。

 劇中では、別室にいる女優と男優が愛の波動でオーガズムに達せるかという極めて実験的な内容でした。ただヌクのが目的のAVだったらわかりやすいビジュアルや演出で見せれば良いだけだけど、これは商売を一切考えないし小細工も台本なども一切使わず実験的なことにチャレンジしている作品なんだ、すごい尖った監督だ…と思いました。でも、だからこそ、これまでのAVでは見せてこなかった、辿り着けなかった女性のありのままの姿を見せようとする、それに賭けてる監督なのだとも思いましたね」

 歴史を遡っていくと本来のAVは、ピンク映画に代表される作り物のエロではなく、真実のエロを見せてくれるものとして認知されていた。そのきっかけが代々木が撮った『ドキュメント ザ・オナニー』のシリーズだ。女性に性欲があると誰も口にしなかった時代に、オナニーをする女性を映像に収め世に出した。それが可能だったのは代々木の手腕によるところが大きいと言われているが、代々木本人は、カメラの性能が上がったことと家庭用ビデオデッキが普及したことを要因の一つとしている。

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 AVには、作り物じゃない女性の姿がある、はずだった。それがいつの間にか作り物に変わっていった。それはコンプライアンスが叫ばれる時代に残っていくためには必然だったとも言える。現実のセックスには台本はない。何だどうなるかわからない。でもそれでは出演者の安全を守れないと人権論が幅を利かせるようになった。やること全てが事前に決まっていて、当日のその場のノリや流れで決められたこと以上のことをしてはいけないというルールが作られた。

 でもそれは、出演者の意思を、自己決定能力を見くびっているのではないだろうか。女性は社会的弱者で守らなければいけないという理屈は理解できる。しかし、守られている限り弱者は弱者だ。その場にいる全ての人が対等な関係になるには、目の前にいる相手と水平な目線で接するには、それぞれが自由に意思を発揮できるようにする必要がある。代々木はその場作りをする数少ないAV監督だ。監督という立場で上から目線でものを言うのではなく、出演者が欲情していく場作りだけして、その後は出演者の自由に任せる。それを代々木は一歩引いた位置からカメラに収める。だから、作品のクレジットでは監督ではなく監修となっている。AV業界のルールが変わり、そのスタイルが許されなくなってきたのも、代々木が引退を決意したきっかけのひとつだ。

 話を吉村に戻す。

 吉村が代々木の現場に初めて呼ばれたのは20代後半。男優歴は4、5年ほどだった。

「僕の初めての現場は『平成淫女隊』でした。この作品で男でありながら女のオーガズムを体験できたことは男優人生でも、男としても、一番の衝撃だったしラッキーでした。

 男の快感は射精の瞬間だけだからコスプレとかシュチュエーションにこだわるけど、女性はあんなに長い時間幸せな気持ちを感じられるんだなと。自分がその感覚を知ったからこそ、AVの中で見せる虚像であったとしても、いかに相手に安心して気持ち良くて幸せになってもらうかをモットーに考えるようになった」

 男性は頭で興奮し、女性は心で感じてくと言われるが、吉村は代々木に出会い、心で感じる悦びを知った。それは体や情報で繋がっていくのではなく、溶け合い一体化していくような感覚だ。代々木作品ではジェンダー(社会的な性役割)から解放される姿が男女ともに映し出される。深く繋がっていくには、社会性を、思考を落とさなければならないと代々木はいう。

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●「淫女隊」によって導かれた新たな境地“その場の4人が溶け合って一体化した”

 “幸せを感じるセックス”をするには、相手あっての営みであるからこそ、相手の気持ちを慮ることが大事なのだと気づいた吉村。それと同時に、「平成淫女隊」の衝撃的な体験をしたことで、もうひとつの極地にもたどり着く。

「3人の淫女隊は“餌食”となる男優に対し、ただ身も心も委ねさせ底抜けに快楽に集中させることに長けたプロ軍団ですよ。目隠しした状態で3人の淫女隊にあちこちを攻められた。

 両脇にひとりずついて、もうひとりにフェラされてる状態。両脇のふたりの女性が僕の顔や頭を優しく撫でたり耳元で「どうされると気持ちいいの」「こんな感じかな?」と聞いてきて僕が「そこ」「気持ちいい」と答えると、攻め役の女性がピンポイントで攻めてくる。こうなると快感に身を委ねる以外の術がないのです。それでいて「乳首が立ってきたね」「我慢汁も出てきたわよ」なんて僕の体の状態をいちいち実況解説して攻め役が僕の気持ちいいところを執拗にフェラして攻める。そのうちなんだか、目隠しされているのに、目が合っているような気がした。

 僕は元々、新しい感覚の快感には抵抗感がないタイプ。“こんなことで気持ち良くなっちゃダメだ”と思うような、気持ちにブロックをかけてしまうタイプだったら、こうはならないのかもだけど、僕はそのまま快感に身を委ねられたのもよかったのかもしれない。もう女優さんに任せちゃお、どうなってもいいやと思ったら、まるで僕も含めた4人のエネルギーがひとつになった気がしてきた。宙に浮いてる感じ、心地がいい感じ、これはただのテクニック的な感覚ではない、優しい母性的な温もりのような感じを受けた。
これこそがセックスでしか得られない温もり、安堵だと思った。セックスで母性を感じたなんて言われてもピンとこないかもしれないけど、人間の至極の安堵感は母性なんだと思う。セックスでそれを感じることができたというのが、僕の男優人生の中でも初めて感じられた、それ以降もそこまで辿り着けてない新境地でした」

 面接軍団の一人である片山は淫女隊に攻められたことが、自分の殻が取れるきっかけだったという。吉村は、片山に比べて元々の殻がなかったのか薄かったのだろう。だから、素直に自分を明け渡すことが出来たのかもしれない。

 代々木組にはなるべく若いうちに行った方がいいと言われる。もしくは、男優としてのキャリアが浅いうちに行った方がいいと。それは、年齢が上がったりキャリアを積むことで精神が固まっていくから自分を壊すことが難しくなるからだ。これは一般社会でも同じだろう。社会で偉くなったり、偉いと勘違いしていくと、自分に素直になることが難しくなる。当然、相手に明け渡すことができない。誰にとっても、今までの人生を否定することは怖い。たとえそれがどんな人生だったとしても。

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●ただ気持ちを素直に表すこと。吉村卓が“怪優”と呼ばれるようになるまで

 淫女隊によって開発された新たなる吉村の性の姿。それは男優としてのやりがいにもつながった。

「3人に『出てるよ、出てるよ』と言われて、でも出てる感覚がなくて、『出てない、出てない』って答えた。それで目隠しを取ったら口内射精してた。これまで僕がしてきたことが、ただの粘膜接触的なセックスだとしたら、これは魂のまぐわいだ…と感じた。この、これまでにない体験をしてから、初めて男優という仕事が“楽しく”なったんです。

 代々木さんが以前に書いた本の中に“自分がエロくならないと相手もそういう気持ちにはならない”という様な一文があったのですが、先ほどの経験はまさにそれを実感した。ただ裸になるだけでなく、自分の心までを裸にしないと、相手のエロさなんて到底見えない。エロとは心が裸になること。心のパンツが脱げなきゃ本当のエロではない。

 エロさを相手にぶつけていく、隠したいこともさらけ出していく、最初は警戒されるけど次第に感化してだんだんと足が開いていく。自分をさらけ出して、思いを伝える、それがエロティシズムかなということを感じた。まず自分が変わらなければいけないというのが代々木さんと出会って一番影響を受けたところです」

 代々木の現場で自分自身のエロさを包み隠さず曝け出すことを身につけた吉村は、その貪欲なエロさの演出が様々な他の現場でも求められるようになる。吉村が怪優と呼ばれるようになった由縁だ。

「僕は何十年かの男優歴の中で、いつしか変態教師やキモい役として出るようになりました。吉村の顔面ベロチューや乳首バキュームはどうだとか、女優さんの唾液をほしがったり、女優さんに唾液を飲ませたりするのがエロいと言われています。“吉村のプレイスタイルは変態そのもの”とキャラを確立していけたわけですが、これもやっぱり代々木組での淫女隊との経験が原点になっているように思うのです。

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 エロとは心が裸になることで、「お前のパンツ見たいよ」「お前に触れたいよ」みたいな衝動的な欲望が、「お前の中に入れたいよ」「舐めたいよ」といった行動的欲望に繋がるのであり、男女間の結合以外でも、相手の何かを自分に取り入れたくて「唾液を飲ませろとか飲ませたい」って一体化願望に繋がる。自分のエロを相手に見せつけ、ぶつけることで、その相手のエロも開いていく…ように思います。そういう欲望を撮影現場で出してきたことによって“変態おじさん”的な“怪優”と呼ばれるような、キャラが確立していった」

 吉村のこの“変態っぷり”は女優からも評価があるようだ。

「自画自賛したいわけじゃないんですけど、ある女優さんが「アナルは舐められるのイヤだ」って言ってたそうなんですけど「男優は吉村卓だ」って聞いた瞬間「はい、全部大丈夫です♪」って答えてくれたらしいんです。その女優さんにとっては、僕と絡むことで自分のエロさが引き出されると思ってくれているようなんですけども、それは男優としてはなによりのやりがいであり、これ以上ない成果でした」

 しかし男優として認められていく吉村をいつだって原点に立ち帰らせてくれるのも代々木だったという。

「ある時、撮影で代々木さんに「最近のオマエは女優の目を見ていない、テクニックでセックスしている」と指摘されたことがあったんです。実はその当時、自分には彼女がいた。彼女に悪いなあっていう思いが心のどこかにあって、それを仕事場にも持ち込んでしまっていた。だから女優の目を見ることができなかったんです。代々木さんにそう指摘されたことで公私混同させない、ちゃんと目の前の相手に真剣に向き合っていくよう気持ちを切り替えることも学んだんです」

●卓ちゃん推薦! 後世に伝えたい代々木作品

 代々木さんの作品は抜ける抜けないという観点からではなく、男女の偽りのない性というドキュメント的な部分を見てほしい。見た目や胸の大きさではなく、女性の“性”を知ることができる。男とは違うんです。男性は愛の中にも秩序があるけど、女性は秩序なく全てを包むような感じ。底がない。そういう母性が代々木さんの作品にはあります。

「たかがセックスされどセックス」シリーズなんかは特にお薦めです。シリーズは10本あってテーマは作品ごとに違うけど“イクことにこだわる女たち”というのがテーマだった作品では、イッたふりをする女性の心のありようが暴かれてしまう流れとなっているんです。でもその女性は最終的に「べつにイケなくても幸せだったらそれでいいかも」ってコメントするところが印象的で、それぞれのセックスの答えを見つけていくようなところがあるシリーズです。

 自分が出演している作品でいうなら「平成淫女隊」シリーズですね。セックスはこうあるべきだ!ってこだわりや固定概念がある人にこそ見てもらって、その殻を破ってほしいですね。

 性のことってきっと、答えは簡単だけどプロセスは難しいんです。心の地獄を天国に変えるためには、自分の弱みをさらけ出して認めていくしかない。そのためには内観して自分を許していく。自分を愛せないと他人を愛せない。自分を信じないと他人を信じられない。

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●代々木監督へ、卓ちゃんよりメッセージ

 男優としてここまでやって来れたのは代々木組で、相手と対等にまぐわうということを教わったからこそです。女優さんとは初めてでも、たとえ何回目かでも、いつでも“はじめまして”という気持ちで、その日その時の自分や相手のコンディションを考えつつ、何年たっても新鮮な気持ちでやっていけているのは、代々木さんと出会えたからこそです。

 ずっと、代々木さんが引退するまでは自分も引退できないと思っていた。男優としてより男として、人としての育ての親のような感覚があります。僕は勝手に父みたいな存在だと思っています。なんだか…あまり畏まって言ってしまうと、もう会えなくなってしまいそうで…もう監督と男優として会うことはできなくても、人生の先輩として、まだまだこれからもお付き合いさせていただきたいから…今は代々木さんという凄い人と長年仕事で来たことを誇りに思います。僕は本当に運が良かった。

 本当に有難うございました、お疲れ様でした。