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代々木忠監督から教わったこと~市原克也~

 

「まじめにオマンコしろよ!」

これは僕が初めて代々木組に呼ばれた時に、代々木さんの口から発せられた言葉です。

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撮影/髙橋定敬

その女優は撮影前の面接で「感じやすくてすぐにイッちゃいます」と言い、その言い回しやトーンがどうも腑に落ちなかった代々木さんは「本当か?イッたことなければ正直にそう言ってくれていいんだよ。それならそれなりの撮り方もやり方もあるんだから」と問い直したそうです。それでも「すぐイッちゃいます」と言いはるのでそれを信じて撮影に臨んでみたら、全くのマグロでした。

男優があれこれやっても、挿入してもわずかにうめき声が漏れる程度の反応しかありません。「気持ちいいなら気持ちいいって言ってごらん。相手の男優さんの目を見て甘えてごらん」とカメラを持つ代々木さんが声をかけても、応えることすらできません。セックスに慣れていないし、そもそも気持ちよくなるということがわからないように見えました。

代々木さんは再度聞きます。
「気持ちいいのか?いいでも悪いでもなんか言ってくれなきゃわからないだろ。感じやすくてすぐイッちゃうって言ってたんだから、どうすれば感じるかぐらい言えるだろうよ」
するとかすかに聞こえる程度の大きさで「イッたことありません」と声が漏れてきました。

その返答で撮影は中断されました。面接からずっと嘘をついていたその女優は帰されることになりました。そしたら急遽駆け付けたマネージャーが、女優を守るように前に出る形で代々木さんに食って掛かります。「AVなんだから演出でなんとかなるでしょう。うまくやってくださいよ」と強めの口調で威圧してきます。

代々木さんは、そのマネージャーの目前30㎝の距離まで詰め「こっちは本気でAV撮ってんだよ。まじめにオマンコしろよ!」と言い切りました。マネージャーは代々木さんの気迫に負けたのか、ビビったような、それでいて悔しさが滲んでいるような顔をして女優を連れて帰っていきました。その女優は、おそらくこのマネージャーの指示で「すぐイッちゃう」と言っていたのでしょう。

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撮影/髙橋定敬

当時で男優として4,5年キャリアを積み、2000本近くAVに出ていましたが、そんな怒り方をする監督はいませんでした。こんなにも本気でAVを撮っている人に初めて会いました。こだわりを持ってAVを撮る監督はたくさんいましたが、演技じゃないセックスを本気で撮りたいという方は一人もいませんでした。20年以上のキャリアになり、1万本はゆうに超えるほど出演した今振り返っても、後にも先にもそこまでの覚悟を持ってセックスを撮るのは代々木さんただ一人です。

もちろんそういった心意気で現場に臨む監督はたくさんいます。それに応える女優もたくさんいます。でも、いざそうならなかった時に、作品を成立させることを優先して妥協していったり、お茶を濁すように演出で誤魔化したり、形を見せることにシフトしていく人がほとんどです。現実問題として、現場を回していくにはそういった判断が必要です。でも代々木さんはそうしません。見ている人を誤魔化せればいいと考えません。だって、それが目的ではなく、自分自身が見たいものを、知りたいことを、性の、女性の、本気の快を、それらを探求することが目的であり動機だからです。売るための商品を作っているのではなく、人間の根源的な一面を見ることができるのがAVという場で、だからそこでカメラを回しているといった感じです。

AVは、見ている人に性的興奮を起こすことが目的とされています。ポルノと呼ばれるものは、世界中どこでも同じで、直接的に、効率よくその目的を達成するために性的な行為を見せ、それでお金を生み出していきます。24時間テレビが感動ポルノと言われていますが、あれも、感動を効率よく起こすために障がい者や安直な感動ドラマを見せて募金稼ぎをします。そのやり方が必ずしも悪いとは思いませんが、そこにある感動は本物ではないと思います。

本当のセックス、本物の感動、真実の人間の姿といった時の“本当”がどういうことかと考えていくと難しい話になっていきます。僕なりの定義としては、そこに純粋な感情があり、その行為が資本主義的な金稼ぎを第一目的としてなくて、あるがままの正直な生き様があるといった感じです。そしてこれも重要だと思うのですが、制作側に、見る側の興奮や感動をお金にしていくという商業意識よりも、そこにあるものを、出来事を、ありのまま映し出したいという創作意識があることです。

代々木さんが撮っているものはAVと呼ばれるジャンルで、それを代々木さんが拒絶しているわけではありません。でも他のAVとはあきらかに違います。“本気の”感情があり、正直な生き様があります。代々木さんは自分でメーカーをやっていたから、売れる売れないだけを考えてAVを撮らないで済みました。自分の追い求める「本当のオーガズム」や「本気のセックス」「深く繋がる交わり」といったことを撮っていたら売れちゃったのです。そしてそれは、見る人が本物を求めていたし、見分けられる人が多くいたということでもあります。

本気のセックスを映像に収めることが出来るのは、映画でも、テレビでも、YouTubeでもなくAVだけです。AVという表現手段だけでしか本気のセックスを見せることはできません。本気だったとしても、セックスが映っているからAVと呼ばれるジャンルにカテゴライズされますが、AVの定義が演技のセックスとなってしまっているのが現状です。でも元来はそうじゃなかったんです。今で言うAVではなく、セックスドキュメンタリーといった方が代々木作品のカテゴリーとして的確な気がします。

行為をしている本人がどれぐらい本気か、それを映し出す人がどんな意識かで、出来上がってくるものは変わります。代々木さんの撮るものの存在が、AVの意味を、可能性を広げていました。でもそれも、もう終わりです。昨年8月で代々木さんが引退をされて、そういった作品を撮る覚悟と体制を持つ人はいなくなりました。さみしいし悔しいです。

この状況は数年前から予想がついていました。それは何とかしたくて、「代々木忠監督作品から学ぶ会」という解説付き上映会を始めました。コロナが現れ中断していた時期もありますが、3年ほど続けています。そこで力を借りているのが、隊長こと市原さんです。代々木さんは、「隊長には敵わない。頭の回転の速さも、言葉のやりとりも。隊長がいなかったら『ザ・面接!』はこんなにも長く続かなかったよ」と言います。そこまでの評価と信頼を得る市原さんは、代々木さんからどんなことを受け取っていたのでしょうか。上映会でしていただく解説の視点も表現も独特で、代々木さんの考えを一番近いところで受け止めているのが市原さんなのではないかと思います。

市原さんへのインタビューもライターの河合桃子さんとしました。河合さんがベースを書き、僕の方で加筆したのが以下になります。市原さんの言葉を通して、代々木さんの内面に深くアプローチ出来るのではないかと思います。是非とも最後までお読みください。

 

◆市原克也◆
面接軍団の通称/隊長、いっつあん

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●場をまるくおさめない、感情をむき出しにすることを教わった

筑波大学中退後は上智大学文学部に入り直してアングラ演劇に熱中し、役者を目指した市原。卒業後は松竹新喜劇を受けるも「周りはみんな中卒ばかりで学歴が大卒だったから不採用」。それで国立能楽堂に無給で手伝いをしに行くもあまりの激務に耐えかねてドロップアウトする。その後は白夜書房に入りエロ本『スパーク』で編集者として仕事をする流れからAV男優としてデビューすることに。代々木の166本続いた『ザ・面接』シリーズの初期から最終作まで出演。代々木作品への出演本数では平本と1,2を争う。

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「とにかく代々木さんの現場では感情を出すことを求められた。以前「ザ・面接」の現場にあまり反応がない、声が出ない上に動きもしないマグロの女性が来て、その撮影中にカメラを持つ代々木さんから「なんだ、もうやめちゃえこんなの」「市原も怒れよ」と怒りの声がぶつぶつと聞こえてきたことがあった。

僕は女優に怒らず「声が出せるように一緒に頑張ろうね」と励ましたんですよ。そしたら代々木さんが「何言ってんだ! ダメなもんはダメだろう!」と僕が逆に怒られたという(笑)。代々木さんの現場では場を丸く収めようとか思ったら逆に怒られるんです」

代々木から学んだことは?という問いに、真っ先に「感情の解放」と答えこのエピソードを添えてくれた。「感情の解放」とは別の言葉で言うとどういうことなのかと聞いてみた。

「怒りを出すということだと思う。それを我慢しないということ。代々木さん自身が、生き方としての遠慮がなかった方で、それは正直に生きるということ」

代々木に会ったことがある人ならわかると思うが、とても優しい笑顔の男で、相手によって態度を変えることもなく、常に誰に対しても敬意を持って接している。一般的に言われる、相手を気遣うという意味での遠慮を代々木の言動から感じることはできる。では「生き方としての遠慮がない」とはどういうことか。代々木の立ち振る舞いから考えてみたいと思う。 代々木は誰と話すときでも相手の目を見て話をする。だからか、「代々木さんには嘘つけないんだよなぁ、きっとすぐばれちゃうから」と多くの者がいう。誰とでも真っ正面から向き合う。それは、自分自身に対する自信がないとできないことだ。自信とは己惚れることではなく、文字通り自分を信じることで、自分軸で生きるということだと思う。 世の中の偉いと言われる人たちにありがちな、自分を大きく見せようとすることを代々木は決してしない。

代々木の名刺には肩書が入っていない。ただ単に「代々木 忠」という名前だけが記されている。多くの人が監督や巨匠と呼ぶが、代々木自身は自分の肩書を決めていない。俺は俺である、俺でしかないということなのだろう。 代々木の生い立ちから現在までを振り返ることはここではしないが、どの時点を切り取っても、今の代々木と通じるものがあり、80数年の人生を通し1本の軸がしっかりと通っている感じだ。代々木の言葉に「感情は今ここにしかないもの」というのがある。今ここにしかない感情を大切に、そこから目を背けずに、それをないものとせずに生きてきた代々木と接してきた市原は、「遠慮のない生き方」と独特で的確な表現で代々木のことを捉えていた。

 

●撮影前は頭上に雨雲を背負った女も、撮影後には雲の切れ間から光が差し込んでいた

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 面接軍団の隊長として「ザ・面接!」撮影時の進行をし、代々木の手となり足となり、現場を仕掛けていた市原。独特の関西弁に絶妙な切り返し。そのアドリブとセリフ回しは破壊力があり、カメラを回す代々木でさえも笑いを堪えられずにいることも多々あった。

「代々木さんは女性の本性みたいなものを明らかにしていくのだけど、そういう「目利き」は代々木さんの現場でかなり鍛えられた。「女性を見抜く」と言うのを言語化するとしたら、イメージとしてその女性の頭の上に雨雲があるか晴れているかみたいな感じ。それはもう、ドア開けて部屋に入ってきた瞬間に、頭の上に雨雲があるか晴れてるかが見える」

 市原は女優によってどこまで踏み込むのか、当たりの強弱をどうするのかを変えている。それは、初対面のほんの一瞬で見抜いたその女優の“天気”によるものだった。女心と秋の空といった言葉があるが、女性の“天気”は変わりやすい。

「オマンコ整形って言い方をするんだけど、セックスをして顔つきが変わるというのがある。それは一発やったら雨雲がなくなり、晴れ間が見えるようになる感じ。代々木さんの現場では、最初は雨雲を背負ってた女でも、現場が終わって帰る頃にはほとんどが晴れて帰ってったような気がする。快晴までいかずとも、雲の切れ間に晴れが見えてるみたいなね。ただ、僕の意識として、その雨雲を晴れに変えてあげようなんてことは一切思ってなかったけどね」

  代々木作品に出る女優は単体女優と呼ばれる華やかなアイドル女優ではない。見る人からすると、自分たちに近い存在として感じられるような女性ばかりだ。彼女たちは飾らない等身大の自分のままカメラの前に現れる。そして、作られたイメージを守ろうと頑なになる女優には決して出来ない本気のセックスを見せる。そのきっかけを代々木が様々な方法で用意する。代々木の現場でセックスをすると、見た目やスタイルが派手な単体女優以上の魅力を放つようになる。

「まあ、撮影前に代々木さんはだいたい女優とマンツーで面接してたから、その時に指導なり話なり、レクチャーと言われていたものが前戯のような役割になってて、現場に来る時に女性は仕上がってて、俺ら面接軍団と代々木さん含めて3Pしているようなものだった。代々木組の仕込みはすごく長い、煮込む時間をたっぷりとる。その仕込み、エネルギー体の様なものに女優はやられていく感じでした」

代々木が“仕込み”で何をしているのかというと、オリジナルの音源を聞かせたり、呼吸のペースを調整したりして思考を落とすことをしているという。セックスをしている時に社会性という思考が残っていると頭でセックスしていくことになる。肩書や立場を持ち込んだり、過去に縛られたり意識が未来に行ったりしてしまう。社会のルールや秩序と呼ばれるものの影響であり、それは感情を抑制することを無意識にしていってしまう。それでは心でつながっていくことはできない。

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 「なんというか、代々木組の最初の印象は、女の喘ぎ声が尋常ではなかったことですね。やがて、現場には代々木さんの女の性への問いがあることがわかったし、当日に至るまでの綿密な場作りがなされていることもわかった。 そういうことを自然と覚えていくことで、俺の現場でも女の喘ぎ具合が尋常でなくなっていった。そういうことをひとつひとつ学んでいったように思う」

 代々木作品のセックスには言葉がある。自分の内面を伝える言葉。相手に意識が向かっている言葉。それらはどれもが感情の言葉だ。世の大半の人は、情報の言葉でやり取りするコミュニケーションに慣れているからセックスの時に何を喋ったらいいのかわからない。代々木曰く「コミュニケーションは効率なんだよ。相手とつながるのはコミュニオンで、融合性ということ」だという。

「一発のセックスで確かに顔つきは変わるが、人生が変わるわけではない。ビリヤードのようにポンポン上手くいくわけではないけれど、代々木組でしたセックスが、何かが好転していくきっかけにはなるようだ」

 

●撮影合間の雑談が男優として、人としての血肉になった

代々木組の現場では撮影合間の雑談が長く、そこで様々な代々木の人間性を見たという。

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「必ずしも撮影の話ではなく、社会や精神論であったり女性全般の話や代々木さんの読書の話とか人間のベースとなるような話題も話されていた。そこで人間の土台のようなモノを作ってもらったように思う。たぶん、代々木さんと出会わなかったら、つまらない人間だったんじゃないかと思うほど。感情の振り幅のメモリがもっと小さかったかもしれない。 代々木さんが読んだ本の話とかはかなり自分の血肉になった。例として仏教の本、ティク・ナット・ハンというベトナム出身の禅僧の著書だとかね。そういうネタを仕込める場でもあったし、そういう場は少ない」

 代々木が撮る作品には、時期によって大きなテーマがある。オーガズムの探求だったり、男女逆転のセックスだったり。そういったテーマは撮影合間の雑談時に伝えられることがほとんどで、“瞬間恋愛”というテーマもその一つであった。 AV男優とAV女優は初めて会ったその場でセックスをしていく。当然、カップルや夫婦の間にある積み上げられた関係性は存在しない。形を見せるセックスをするだけなら、その意識さえ共通していればいいが、相手と向き合い、深くつながっていくには心が、感情が動いていなければならない。そこで“瞬間”恋愛なのである。会ったその瞬間に好きになっていく。一目惚れとは違う。一般的な恋愛感情のイメージと矛盾するようだが、意思で好きになっていく。

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「代々木さんは、そのセックスに逃げ込むしかないという状況を作る。男優の顔や雰囲気で、女優に相手を選ばせる。選択したんだからあとは自分の責任だとしていく。そうなると、この男でイクしかないと思っていく」

 選択は自由意思によるものだとされている。一説には自由意思は存在しないとも言われているが、一般的には自分の意思でさまざまなことを選択し、それにその人の責任が生じるとされている。恋愛においても、自分で相手を選んだのなら、とりあえずはその相手とで何とかしようとするものだ。撮影現場では多くても5,6人の中から選択することになる。では、一般の人達は何人から選んでいるだろうか。

 異性は35億いると言われているが、そこまでの数から選択することは不可能だ。現実的には、身の回りにいる数十人から百人といった中から選んでいるだろう。でも、多くの人が、この相手で良かったと一時的だったとしても思っているものだ。 運命の赤い糸があって、それを手繰り寄せていけばどれだけ離れていても、自分にピッタリの相手がいつかは見つかると考える人がいる。おそらくその人は一生誰ともつながれないだろう。目の前に誰かがいたとしても、その場にいない別の誰かを探し続ける限り、自分の人生の責任を取れない。

  恋愛は、ある日突然降って湧いてくるように思われているが、その実は偶然性の中で少なからずの意思が働き選択している。だから、一度好きになったら、付き合うという関係になったら、その相手と向き合うという責任の果たし方をする。相手任せでも、神任せでもない、自分で背負っていくしかないのだ。 “瞬間恋愛”も同様の理屈である。ある撮影現場で偶然居合わせた相手の中から選択するわけだが、もっと別の相手がいるんじゃないかと思っていたら、一生誰ともつながることが出来ない一般人と同じようになっていく。そういう女優もわずかだがいた。

   人は、自分の手が届く範囲でしか生きられない。だったら、その中で選択したことに責任を持つように、相手と向き合った方がいいだろう。というか、そういう生き方しかどんな人も出来ないはずだ。 何かしらの偶然性によりセックスすることになった相手と、意思によって向き合っていくことが“瞬間恋愛”の始まりだ。そして、実際に行為が始まっていけば、肉体に快感が生じることで相手を愛おしく思いやすくなる。自分を大切に思ってくれているのが伝わる、相手が喜んでくれると嬉しい、これらの積み重ねがセックスの行為中に積み重ねるわけだが、時間をかけて恋愛している時と本質的には共通しているだろう。

「女性との向き合い方やセックスに関しては、じわじわと変わって質を求めていくような感じになってった。量や数ではく深さを求めるようになった。質というか、エロ本のモザイク付きの写真を立体化するような感覚。自分自身と相手どちらも深く潜って解き放つ感覚です」

 

●隊長推薦! 後世に伝えたい代々木作品

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   仕掛け人シリーズですね。平本と俺の二人が宿の従業員となって泊まっている女に仕掛けていく。当時は2泊3日で撮影していたね。どの作品だったか忘れたけど、女優は俺ら男優とセックスをしてしまうのだけど、従業員としたと本気で思っているから代々木さんにはセックスをしていないと嘘をつく。台本のないリアルな駆け引きが他所では見れない作品ですね。

   女のつく嘘や、それまで隠してきた真実の姿が映し出されるのが面白く、犯され願望を持つOLだとか、男は信じられないが快楽だけが欲しいと願う日本舞踊家の女だとか、いろんなタイプの女が現れたのもまた面白かったですね。

 

●代々木監督へ、隊長よりメッセージ

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   やはり引退は、コロナの影響が大きかったんだと思うんです。コロナさえなければ、今も変わらずやっていたと思う。それ以外にやめる理由なんて、なかったんじゃないか、と思わずにはいられないんです。

   でも、他の男優と引退の原因を勝手にいろいろと話したりするけど、代々木さん本人には聞いてないからから分からない。代々木さんに聞いてみたい。 「ザ・面接」シリーズは166本出て、俺はそのうちの160本出てた。俺はやりきったと思ってます。でも、一方で、銀次や森と、もしくは新しい男優と俺の知らないシリーズを作って欲しかったですね、本当は。

   俺らができることは、俺らが代々木さんから教わったことを伝えていくことだと思っています。面接軍団としては、これが終わりの始まり。代々木組がなくなった後、俺も含め軍団の奴らはどこへいくのか。それも気になるところです。

   代々木さんとは俺が29歳の時に出会って、なんだかんだそれ以降32年もの付き合いでした。出会った頃は、後ろ姿が少し見えてた気がするけど、今はさらにもっともっとその先へ行かれてしまって後ろ姿さえ見えません。でもその後を、いつまでも追っていきたいって思います。