セックスでしかわからないものがある――。
私は何故、こんなにも「性」にとらわれているのだろうかと時折考える。性愛を描き、アダルトビデオに興味を持ち、セックスにまつわる仕事をしている人たちに惹かれる自分の性への執着は、異常だとすら思うこともある。
そうして、私のこの渇望の正体、根源はなんなのだろうか――。
20代の初めにふとしたことから今なお現役で撮り続けているAVの巨匠・代々木忠監督の「ザ・面接」という作品を観て衝撃を受けた。すさまじい性のエネルギーに溢れた作品に、当時、男性と触れたこともなかった私は興奮しながらも呆然として魂を全て持っていかれてしまった。そこにあるのは、甘い恋愛でもなく、生殖行為でもなく、ただただ、身体と心の奥底から湧き上がる性衝動にかられた人間たちの剥き出しの姿だった。男は女を犯し、女は崩壊して淫らな獣に変貌する。
理性という衣を脱ぎ捨てた人間の欲望の凄まじさに、私の価値観は破壊された。
火に焼けた熱い鉄の釘を差し込まれ、引き裂かれたのだ。セックスという釘は未だに突き刺さったまま、抜けない。
あれから性に囚われたまま、20年が経った。
性に関わる職業に就きたいなどと、一度も考えたことはなかったはずなのに、アダルトビデオ誌で執筆し、官能小説の賞を取って小説家になって、未だに性愛を描き続けている。
私は私の性愛への執着に、うんざりもしている。
これがそのままストレートに性欲ならば、性行為によって何らかの形で解消することも、ある程度の終着点にたどり着くこともあるだろ。
でも、そうじゃないから、どこを目指して、何を探しているのか、わからない。
ただただ、惹かれて知りたくなって近づいて、それを文章にしたいのだ。
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